王昭君、絵姿を醜く写され、胡の王に嫁ぐ語
現代語訳
昔、漢の元帝と申し上げる帝がいらっしゃった。3000人の高位女官・后のなかに、王は昭君と聞こえる 人が、はなやかであることは誰にもするぐれお与えになったのを、この人が、天皇に間近くむつれて差し上げるなら、私達かならずものが物の数ではないだろうと、数多くの心にいやいらっしゃってくるお思いになったのか。この時に胡の王であったもの參り手が申し上げること、「3000人までお仕えし合いなさっている高位女官を・后、どれに手も1人いただこうか。」と申し上げると、上が自分から覽完全にしきるようなことも苦労存在したと、その容貌を絵に描いて御覧になると、人が教えるのであろう、この王昭君の容貌を、醜き様子に写したので、胡の王をいただいて喜び開けては、私の国へそろって帰ると、関連のあった土地を恋する涙は道の全然にも増えて、慣れた人々にお別れして旅立ってしまう嘆くならば、多い深山が行く末が遠い。このようなままには、ただ音をだけ泣くけれども何のかいはいるべきなのか。
つらい世間と一方では治める治めるはかなくも鏡の光を頼みにしたなあ
しみじみとした趣を治めなく人情が深くない者であるけれども、かわいい姿に心惹かれて、大切に世話をし敬へること、その国が営みにも過ぎている。そうであるけれども、年月を重ねてしまった都をお別れして旅立ってしまったより今にやって来るまで、嘆きの涙が乾く間もない。この人は鏡の光で曇りないのをだけ頼みにして、人の心で濁っているのを知らない。