源氏の五十余巻

現代語訳

その春(1021年)は、世間が疫病の流行で亡くなる人が多くひどく不穏で、 松里の渡し場の月の光が病気の乳母を照らしていた様子を私がしみじみと気の毒に思った あの乳母も、三月一日に亡くなってしまった。どうしようもなく悲しみ嘆いていると、 物語を読みたいと思う気持ちも感じられなくなってしまった。 ある日ひどく泣いて過ごして外をながめると、夕日がたいそうあざやかにさしている中で、 桜の花が残らず散り乱れている。その様子を見て詠んだ歌

今散る花も、また来るであろう春には見ることができるだろう。それに対して この春そのまま死別してしまった人(=乳母)が二度と会えないと思うと恋しいことだ

またうわさに聞くと、侍従の大納言(藤原行成)の姫君がお亡くなりになったそうだ。 殿(=藤原道長)の子でこの姫君の夫である中将(藤原長家)がお嘆きになっているときく様子も、 私が乳母に死に別れていろいろと悲しいときなので、たいそうお気の毒なことと思って聞く。 私が京に着いたとき、「これを手本にしなさい。」といって、この姫君の御筆跡をくださったが、 それには「さ夜ふけて寝覚めざりせば」などと書いて、また「鳥部山谷に煙の燃え立たば はかなく見えしわれと知らなむ」と、たとえようもなく趣深いさまでみごとにお書きになっているのを見て、 ますます涙がたくさん流れる。

私がこのようにふさぎこんでばかりいるので、私の心を慰めようと母は気の毒に思って、 母が、物語などをさがしもとめて私に見せてくださると、なるほど自然と私のふさいでいた 心が晴れていく。『源氏物語』の若紫の巻を見て、続きが見たいと思われるけれど、 人に話して頼むこともできない。家の者はだれもまだ都に慣れないころで、物語の続きなど 見つけることができない。たいそうもどかしく、見たく思われるので、 この『源氏物語』を一の巻から終わりまで全部お見せくださいと、心の中で祈る。 親が太秦の広隆寺に参籠なさったときにも、私もいっしょに籠ってほかのことは願わず、 ただこの物語のことをお願いして、参籠が終わって寺から出たらすぐにこの源氏物語を ご利益によってすべて読んでしまおうと思ったが、手に入らず見ることができない。 たいそう残念で嘆かわしく思わずにいられないでいると、おばにあたる人で地方から上京した人の家に 私が行ったところ、おばは「たいそうかわいらしく大きくなりましたね。」としみじみとなつかしがり、 珍しがって、私が帰るときに、「何をさしあげましょうか。実用的なものは、きっとおもしろくないでしょう。 あなたがほしがっていらっしゃるときいているものをさしあげましょう。」といって、 『源氏物語』の五十余巻を、櫃にはいったまま、そのほかに『在中将』(=『伊勢物語』)、 『とほぎみ』『せりかは』『しらら』『あさうづ』などという物語を、一袋に入れておばがくださったそれを もらって帰る私の気持ちのうれしさはたいへんなものだよ。今まで胸をわくわくさせて、 わずかに見ては、話の筋がよくわからず、じれったく思う『源氏物語』を、一の巻から始めて、 人にもじゃまされず、几帳の内にうつぶせになって引き出しては詠む気持ちは、このうえなくて 后の位も何になろうか、いや何にもならない。昼は一日中、夜は目が覚めている限り、 灯火を近くにともして、物語を読むこと以外することがないので、自然と、 物語の中の人物や文章などが見なくても覚えていて心に浮かぶのをとてもうれしいことに 思うころに、夢に、たいそうすっきりと美しい僧で、黄色い地の袈裟を着た僧が来て、 「物語などより法華経の五の巻をはやく習いなさい。」と言うと見るが、人にも話さず、 法華経を習おうと心にかけることもない。ただ物語のことばかりを心に思い込んで、 私はこのごろは容貌はよくないことだよ、けれども盛りの年ごろになったならば、 器量もこのうえなくよく、髪もきっとすばらしく長くなるだろう、光源氏に愛された女君の夕顔や、 宇治の大将に愛された女君の浮舟のようであるだろう、と思っていた心は今から見れば なんといってもひどくあてにならないあきれるものだ。