関路の落葉

現代語訳

建春門院の殿上で催された歌合の時に、 関路落葉という題に合わせて作った、 頼政卿の歌に、

都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白川の関 (都を出るときは初夏、木々の梢はまだ青葉の状態で見たのだが、 白河の関にさしかかった今は秋も既に深く、 紅葉が一面に道に散りしていることよ)

とお詠みになりましたが、その時この題に合う歌をたくさん試作して、 当日まで思い悩んで、俊恵を自邸に呼んでお見せになったところ、

「この歌は、あの能因の『秋風ぞ吹く白川の関』という歌に似ています。しかし、この歌は、 歌合などの晴れの場で披露したときに引き立つに違いないと 思われる歌です。能因の歌と同じではないが、 このように見事に歌を仕立て上げることが出来る物だと 思われるほど、まことに巧みに詠んだ歌だと思われます。 似ているからといって非難すべきような詠みぶりではありません。」

と判断したので、牛車を寄せてお乗りになった時、

「あなたの判断を信じて、それでは、この歌を出そうと思います。 以後の責任はあなたに負わせ申し上げましょう。」と話しかけて出て行かれた。 さてその歌合で、この歌が俊恵の思った通り見栄えがして勝ちになったので、 帰るとすぐ喜びの意を言ってこられたということです。

「見所があったので、あのように申し上げたのですが、 勝負の結果を聞くまでの間は、 むやみと胸が高鳴り心配でしたが、たいへん面目を施したと、 心中密かにそう思われたことです。」と俊恵は語ってくれました。