道隆と福足君

現代語訳

この粟田殿には、ご子息が三人いらっしゃいました。長男は福足君と申しましたが、小さい子供は、そういうものだとは言え、とても異常なくらいやんちゃで、問題のある方でいらっしゃいました。

東三条殿の六十の御祝賀に、この君に、舞を舞わせてさしあげようというので、習わせたのですが、その間にも嫌がっていらっしゃったのを、あれこれとなだめすかし、ご祈祷までして、お教えなさいましたところ、 その当日になって、際立ってすばらしく御衣裳をおつけ申し上げましたのに、舞台の上にお上がりになってから、楽器の音や調子を拭き始めるうちに、困ったことに「自分は舞わない」と言って、結いあげた髭頬を引き乱して、衣装もはらはらとひき破られてしまいました。 粟田殿も、お顔の色が蒼白になられて、呆然としたご様子です。

座についていた人々は「こうなると思っていたよ」とご覧になりますが、なすすべもなくしているところへ、御伯父の中の関白殿が座を降りて、舞台に登られたので、なだめすかしなさるのだろうか、それとも憎さに耐えきれず、舞台から追い下ろされなさるのだろうかと、どうするものかとみておりますと、この福足君をご自分のお腰のあたりに引きよせなさって、ご自分で、素晴らしく舞をおまいになりました。

それこそ、楽の音もきわだってすばらしく、この福足君の御恥も隠され、その日の興としても、とても格別のものになりました。 御祖父殿もうれしく思われたことでした。 父君の大臣は、もちろんのこと、他人であってすら、思わず感嘆申し上げたことでした。

このように、人のために人情の厚いところがおありでいらしたのに、どうしてご子孫が衰えてしまわれたのでしょう。 この福足君は、こともあろうに蛇をいじめなさって、その祟りによって、頭に腫れものができ亡くなられてしまいました。