父大納言の苦悩

現代語訳

ある春の日の事、大将は物忌みの所在無さに姫君(兄)の住まう屋敷に行ってみると、例によって御帳の内で筝の琴をひっそりと弾きすましていた。女房達もここかしこに集まって碁や双六を打り、大層のんびりとした様子である。  大将は御帳を押し遣った。

「どうしてお前はこのように部屋の内に閉じ篭ってばかりいるのだ。今は盛りの桜の花の美しさを見てはどうだ。女房達も気が詰まって、詰まらなく思っているのではないか」

 

床に腰を下ろし、姫君を見た。  髪は身の丈よりも七八寸ほど長く薄《すすき》が穂を出した秋の風情に似ており、その先がなよなよとなびく様は、物語に「扇を広げたようだ」と大げさに書いてあるほどではなく、ちょうど心惹かれるような様であった。昔のかぐや姫もこれほど美しくはなかったであろうと、じっと見ているうちに涙に目が曇ってしまう。

「どうしてこのように美しくなったのだ」

 

大将は姫君の近くに寄り、涙を目に一杯に浮かべ髪をかき上げた。姫君はとても恥ずかしげに耐えられぬ風情で汗を浮かべ、上気した顔は紅梅が咲き出したように艶やかに輝いていた。今にも涙が零れ落ちそうな目元がいかにも悲しそうなので、大将は涙を誘われ、ただひたすらに哀れに思った。

 

姫君はさすがに化粧はしないのだが、それがかえって美しさを引き立てている。額髪も汗にまみれ、わざと指でひねったように形よく垂れ下がっており、可憐で魅力的である。女は白粉を塗り立てるのではなく、このように素顔でいるのがよいと、大将は思った。

 

姫君は十二歳になるのだが発育に遅れたところはなく、背丈も高く、大層なまめかしい様子である。着馴れた桜色の衣を六重襲《むえがさね》にし、配色の落ち着いた葡萄染《えびぞめ》の袿《うちき》を着こなしているが、人柄の良さに引き立てられて、袖口・裾の褄までがいかにも趣がある風情である。

 

大将は「困った事だ、尼にでもするしか手はないだろうか」と考えるにつけても、口惜しく涙が止まらない。

いかなりし昔の罪と思ふにもこの世にいとどものぞ悲しき

(どのような前世の罪でこのような子どもが生まれたのかと思うにつけ、この世がますます悲しくて仕方がない)

 

大将が西の対に渡ると、吹き澄ました横笛の音色が聞こえてきた。空に響き昇るような音色にじっとしていられないような気持ちになる。これはきっと彼が吹いているに違いない――と思うと心が乱れるのだが、そこを抑えてさりげない顔で若君の部屋を覗くと、若君(妹)は畏まって笛を傍らに置いた。

 

桜襲《さくらがさね》や山吹襲《やまぶきがさね》など、様々な色を重ねた袿《うちき》に萌黄色の織物の狩衣《かりぎぬ》、葡萄染《えびぞめ》の織物の指貫《さしぬき》を着ている。顔立ちはふっくらとして色艶もとても美しく、目元は利発そうであり、どことなく華やかさに満ち溢れ、指貫の裾まで愛敬が零れ落ちるほど魅力的である。その容姿に思わず引きつけられた大将は、一目見ただけで、落ちる涙も悲しさも忘れ、思わず微笑んでしまうのであった。

「ああ、何という事だ。この若君も本来の女性として大切に育てていたら、どれほど素晴らしく可愛い事であろう」

 

若君の髪は長さこそ短いが裾は扇を広げたようで、背丈に少し足りないほどの長さで乱れ下がっている。その様を見るにつけ微笑を禁じえないのだが、一方で大将の心の内は暗く落ち込んでいた。身分の高い子どもが大勢いる中で、彼らと共に碁や双六を打ち、賑やかに笑い騒ぎ、鞠や小弓で遊んでいるのも、何とも異様な情景である。