紫の上の死

現代語訳

太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたびたび見舞いの手紙をお送りした。昔大将の母君が亡なくなったのも秋のこのごろのことであったと思い出して、大臣は当時の悲しみもまた心の中に湧わき出してくるのであったが、その時に妹の死を惜しんだ人たちも多くすでに故人になっている、先立つということも、後おくれるということもたいした差のない時間のことではないかなどと考えて、もののしんみりと感ぜられる夕方に庭をながめていた。息子むすこの蔵人くろうど少将を使いにして六条院へ手紙を持たせてあげた。人生の悲しみをいろいろと言って、古い親友をお慰めする長い文章の書かれてある端のほうに、

古いにしへの秋さへ今のここちして濡ぬれにし袖そでに露ぞ置き添ふ

 という歌もあった。ちょうど院も、過去になったいろいろな場合を思い出しておいでになる時であったから、大臣の言う昔の秋も、早く死別した妻のことも皆一つの恋しさになって流れてくる涙の中で返事をお書きになるのであった。

露けさは昔今とも思ほえずおほかた秋の世こそつらけれ

 悲しいことだけを書いておいては、あまりに弱いことであると批難するであろう、大臣の性格を知っておいでになる院は御注意をみずからあそばして、たびたび厚意のある御慰問を受けているといって、悦よろこびの言葉などもお書き加えになるのをお忘れにならなかった。  薄墨色を着ると葵あおい夫人の死んだ時にお歌いになったその喪服よりも、今度は少し濃い色のを着て悲しみを示された。  どんな幸運に恵まれていても、理由のない世間の嫉妬しっとを受けることがあるものであるし、またその人自身にも驕慢きょうまんな心ができてそのために人の苦しめられる人もあるのであるが、紫の女王という人は不思議なほどの人気があって、何につけても渇仰かつごうされ、ほめられる唯一の瑕きずのない珠たまのような存在であり、善良な貴女きじょであったのであるから、たいした関係のない世間一般の人たちまでも今年の秋は虫の声にも、風の音にも、また得がたいこの世の宝を失った悲しみに誘われて、涙を落とさない者はないのである。ましてほのかにでも女王を見たことのある人たちにとって、女王を失った悲しみはとうてい忘られるものではなかった。女王が親しく手もとに使っていた女房たちで、たとい少しの間にもせよ夫人に後おくれて生き残っている命を恨めしいと思って尼になる者もあった。尼になってまだ満足ができずに遠く世と離れた田舎いなかへ住居すまいを移そうとする者もあった。  冷泉れいぜい院の后きさきの宮も御同情のこもるお手紙を始終お寄せになった。故人を忍ぶことをお書きになった奥に、

枯れはつる野べをうしとや亡なき人の秋に心をとどめざりけん

はじめてわかった気もいたします。  とお書きになったものを、院はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもながめておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人この方があるとお思いになって、院は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流れ続けるためにお筆が進まなかった。

昇のぼりにし雲井ながらも返り見よわれ飽きはてぬ常ならぬ世に

 お返事をお書き了おえになったあとでもなお院は見えぬものに見入っておいでになった。  お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。仏像をお据すえになった前に少数の女房だけを侍はべらせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院でおありになった。千年もごいっしょにいたく思召おぼしめした最愛の夫人も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世とんせいの人とおなりになるお用意ばかりを院はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇ちゅうちょしておいでになるのはよくないことかもしれない。  夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院に代わって大将がすべて指図さしずをしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考えられになる日も多かったが、結局四十九日の忌いみの明けるのを御覧になることになったかと院は夢のように思召した。中宮ちゅうぐうなども紫夫人を忘れる時なく慕っておいでになった。