後鳥羽院

現代語訳

この方(後鳥羽上皇)のいらっしゃるところは、人のいるところから離れ、里からも遠い島の奥地である。海岸からは少し入り込んで、山陰に寄り添って、大きな岩がそびえているのを支えにして建ち、松を柱にして、葦をふいた屋根のある廊下など、ほんの形ばかりの簡素な住まいである。本当に「柴の庵のただしばし(柴で編んだ庵にしばらく住むだけ:西行法師が詠んだ歌)」のように、仮の宿に見えるお住まいではあるが、それ相応に、優美にお造りになられている。このお方のお住まいといえば水無瀬殿離宮を思い出すが、それはもはや夢というしかない。はるかに見ることのできる海の眺めは、二千里のかなたまで見える気持ちがする。いまさらながらに白楽天の詩が思い出される。潮風が人のうわさのように、たいそう辛く吹き付けてくるのをお聞きになられて、次のようなお歌をお詠みになられた。

 

わたしこそは島の新しい番人だ 隠岐の海の荒い波風よ、気をつけてやさしく吹いてくれ  同じこの世でまた都に住み、住ノ江(住吉)の月を見たいものだが、いまでは栄光はどこかに置いてきてしまって 隠岐の島守りの身だ

 

その次の年となりました.所々に流されました上皇様方の浦々の景色も,とても哀しいとの事のみ御思いになって嘆いてらっしゃる.順徳院は,朝夕の勤行だけをなさりつつ、なお、このままで終わる訳ではないと御思いになっていらっしゃる.後鳥羽院は、流された隠岐の浦から遥々遠く沖まで霞が渡っている空をじっくりと眺められて,今まで過ごしてきたことをすべて思い出されるにつけ,とめどもなく流れる御涙が本当に止まりませんでした.  

うらやまし長き日影の春にあひて塩汲むあまも袖やほすらん(後鳥羽院御百首) うらやましいことだ.日が長くなる春になって塩を汲む海女も、濡れた袖を乾かしている.私といえば,涙を流す日々が続いて袖を干すこともできないのに.  夏になって茅葺の軒端に梅雨の雨のしずくが本当に隙も無いくらい落ちてくるのも、御覧になる気がしない御心地に,自分が様変わりしている事に気がつき,珍しい事だと御思いになられる.

 菖蒲葺く茅が軒端に風過ぎてしどろに落つる村雨の露

(あやめが吊り下げている茅の軒端に風が吹き過ぎて,その風で乱れて落ちるひとしきり激しく降り,やんではまた降る雨の露だ.私の心もその露のように乱れてしまっている.)