叡実、路頭の病者を憐れむ事

現代語訳

山に叡実阿闍梨といって、尊い人がいました。帝のご病気が重くていらっしゃったころに、帝が阿闍梨を宮廷に召されたのですが、阿闍梨は何度も辞退申し上げたのですが、度重なるご命令を断ることができなくて、しぶしぶ参上する道中に、みすぼらしい病人で、足も手も思うようにならない状態で、とある場所の築地のそばに平べったくなって伏せている人がいました。

阿闍梨はこれを見て、悲しみの涙を流しながら、車からおりて、同情し見舞いました。敷物を探し求めて敷かせて、上を仮の小屋で覆い、食べ物を探し求めて世話を焼いているうちに、だいぶ時間がたってしまいました。迎えに来た勅使が

「日が暮れてしまうでしょう。非常に都合の悪い事です。」

と言ったので阿闍梨は、

「参内はしないでしょう。このように、その旨を申し上げてください。」

と言います。勅使は驚いて、理由を尋ねます。すると阿闍梨が言うことには、

「世俗を嫌がって、心を仏道にまかせてからは、帝のご用事とはいっても、一途に尊いということではありません。このような病人といっても粗略にはできません。ただ同じように思われるのです。それに、帝の病気をはらうための御祈祷のために、効き目のある僧を召そうとすれば、山々寺々にたくさんいる僧のうち誰かが参上しないことがありましょうか、いや参上するはずです。決して事欠くことはないでしょう。この病人にいたっては、いやがり汚がる人だけがいて、近づいて世話を焼く人はいないでしょう。もし私がこの人を見捨てて去ったならば、すぐに寿命が尽きてしまうでしょう。」

といって、病人だけを同情して助けているうちに、とうとう参上しないでしまったので、世間の人々は、貴重なことであると言いました。

この阿闍梨は、最後に往生を遂げました。詳しくは往生伝にあります。