女三の宮の降嫁

現代語訳

光源氏は婚儀の三日間は、毎晩欠かさず女三宮のもとにお通いになるので、紫の上はこれまでそうしたことにはお慣れでないお気持ちとしては、我慢はするけれど、やはりなんとなくもの悲しい。  紫の上は光源氏のお召し物などに、一層念入りに香を焚き染めさせていらっしゃるけれども、物思いに沈んでいらっしゃる様子は、たいそう可憐で可愛らしい。

 

「どうして、どんな事情があったとしても、紫の上のほかの女性を妻として迎えなければならなかったのか。 好色めいて、気弱になっていた自分の過ちで、このようなことも起きたのだよ。 私と違って若いのに、中納言(夕霧)をお考えになれなかったようなのに。」 

と、自分ながら情けなく思い続けていらっしゃると、自然と涙ぐまれて、

「三日目の今夜だけは仕方のないこととお許しくださるでしょうね。 もし、これから後にあなたのそばを離れることがあったら、我が身ながら愛想が尽きることでしょう。 そうはいっても、あちらの院(朱雀院)は何とお聞きになろうことやら。」

 

と言って、あれこれ思い悩んでいらっしゃるお心中はいかにも苦しそうである。  紫の上は少し微笑んで、

「あなたご自身のお心でさえも、定めかねているようですのに、まして私には仕方がないことかどうかさだめられません。 あなたのお心はどこに落ち着くのでしょうか。」

と、言ってもどうにもならなさそうにあしらいなさるので、きまりが悪いとまでお思いになって、頬杖をおつきになって横になっていらっしゃるので、紫の上は硯を引き寄せて、

『すぐ目の前で変われば変わるあなたとの仲を行く末長く頼りにいていたことですよ』

と詠んだ。 古歌などを書き交えていらっしゃるのを、光源氏は手に取ってご覧になって、たいしたことのない歌であるけれど、本当に、無理からぬことであると、

『命というものは耐えるときは絶えてしまうのだろうが、不定の世の常とは異なる私たちのなかののですよ』

と詠んだ。 すぐに女三宮のところへお出かけできずいらっしゃるのを、

「まことにきまりが悪い行いであるよ。」

と、急き立てもうしあげなさるので、糊が取れてしなやかで美しいお召し物で何とも言えない良い匂いをさせてお出かけになるのを、見送りなさるのも、全く穏やかではいられないことよ。

 

長年、光源氏がほかの女性に心を移すのではないかと心配していたことも今更もうとばかりに恋愛から遠ざかっていらっしゃって、それならば私たちはこのまま大丈夫であろうと、安心しきっていた今頃になって、結局、このように世間の外聞が並一通りでないことが起きてしまったよ、大丈夫と思い決めていられる夫婦の間柄ではなかったのだから、これから先も不安にお思いになるのであった。 紫の上はこうもさりげなく装いなさるけれども、伺候している女房達も、

「思いがけない世の中ですこと。 たくさんのお方々がいらっしゃるようだけれど、どの方も、みんなこちらのご威勢には一歩ゆずって、遠慮なさってお暮しになるからこそ、何事もなく平穏でしたのに、あちら様の無理を通してこれほどまで遠慮のない様子に、あなた様は気圧されたままではお過ごしになれないでしょう、また、そうかと言って、些細なことがきっかけで穏やかでないことがあるような時々、きっと面倒なことが起きるでしょうよ。」

などと、めいめいに話し合って、嘆かわしそうにしているのを、紫の上は少しも気づかない様子で、まことに態度が優雅に世間話などをなさりながら、夜が更けるまで起きていらっしゃる。

このように、女房たちが普通ではなく取り沙汰しているのも、紫の上は聞き苦しいとお思いになって、

「このように、この方あの方と大勢いらっしゃるようですが、あの方のお心にかなって華やかで高貴な身分でもないと、見慣れて物足りなくお思いになっていたところに、この宮がこのように御輿入れなさったことは、結構なことです。 私もいまだ子供心がなくならないせいか、私も女三宮様と親しくさせていただきたいのですが、困ったことに、私が女三宮様に隔てる心を持っているように世間の人々がとりなそうとするのでしょうか。 私と同じ身分の人とか、あちらが劣っている身分と思う人に対しては、普通ではないこととして聞き流すわけにいかないことも、自然と起こってしまうものですが、おそれ多くお気の毒なご事情がおありらしいので、なんとかして気兼ねなくしていただきたいと思います。」

などとおっしゃるので、中務や中将の君などという女房たちは目くばせいながら、

「あまりなお心遣いであるよ。」

などと言っているだろう。 昔は、格別に御情けをおかけになってお側にお召しになった女房たちであるけれども、ここ何年かはこちらのお方にお仕え申し上げて、皆思いをかけ申し上げているようである。 ほかの女君方からも、

「どのようにお思いになっているでしょうか。 もとからあのお方の寵愛をあきらめている私たちは、かえって気楽なのですが(あなた様はどんなにかお辛いでしょう)。」

などと、紫の上の気を引きながら、お見舞いのお手紙を贈りなさる人もあるが、

「このように私の気持ちを推し量る人こそかえって辛く思われるのですよ。 世の中もまことに無情なものだから、どうしてそのことばかり思い悩んでいられよう、いや、いられないだろう。」

などとお思いになる。