いはで思ふ

現代語訳

昔、平城の帝が、鷹狩りを非常に好みなさった。陸奥の国の磐手の郡から帝に献上した鷹が 世に類なく利口であったので、帝はこの上なく大切にお思いになって、ご愛用の鷹になさった。 帝はその鷹の名を磐手とおつけになった。それ(=その鷹)を鷹狩りの道に心得があって、 平素から帝の鷹を預かってお世話もうしあげなさった大納言に預けなさっていた。 大納言は夜も昼もいつもこの鷹を預かって、飼い養いなさるうちに、どうなさったのであろうか、 逃がしてしまわれた。大納言はうろたえあわてて探すが、まったく見つけることができない。 山々に人をやっては探させるが、(磐手という名の鷹は)まったく見つからない。

大納言も深い山に入って、途方にくれて歩きまわりなさるが見つからない。

このこと(=鷹を逃がしてしまい、見つからないこと)を帝に申し上げないでしばらくはそのまま知られずに いられるだろうけれど、帝は二、三日と間をおかず鷹を御覧にならない日はない。 どうしようかと思って、大納言は宮中に参上して、御鷹がいなくなったことを帝に申し上げなさるときに、 帝はものも仰せにならない。お耳におはいりにならないのであろうかと思ってまた申し上げなさると、 帝は大納言の顔ばかり見つめていらっしゃってものもおっしゃらない。 帝は私を怠慢であるとお思いになっているのだなあと思って、大納言は 自分が自分でないようなぼんやりとした気持ちで恐れ入っていらっしゃって、

「この御鷹が探してもおりませんことを、どのようにしたらよろしいでしょうか。 どうして何も仰せにならないのでしょうか。」

と大納言が帝に申し上げなさると、帝は、

「磐手のことは言わないで心で思う方が 口に出していうよりもつらさがまさるのだ。」

とおっしゃった。

これだけおっしゃって、他のことはおっしゃらなかった。 帝は御心では非常に言ってもしかたないほど残念にお思いになっているのだった。 これ(=いはでおもふぞいふにまされる)を、世の中の人は上の句をあれこれと付けた。 しかしもともとはこれだけであった(=帝が下の句だけをお詠みになったのだった)。