姫君の失踪

現代語訳

こうして、正月の司召(定期人事異動)に、右大臣(主人公の父)は関白におなりになる。 少将(主人公)は中将になって、三位になられた。 中将は、(昇進を)たいした事ともお思いにならず、ひたすら神仏の御前にお参りしたおりも、

「姫君の行方を、お教えください」

と、お祈りになる。

(中将は)鞍馬寺へお参りになったとき、池の水面に、(いつも 雌雄いっしょにいるはずの)鴛鴦が、一羽だけいるのをご覧になって、

わがごとく……私のように心に悲しみを抱いているのだろうか。池の水面に伴侶のいないおしどりがひとりぼっちでいて

と言いながら、(あちこちの神仏に)祈りってまわられるが、これといった霊験もなかったのである。

春も秋も過ぎて、九月の頃、(中将は)長谷寺に籠って、七日目という日に、ひと晩中勤行をして、 明け方に少しうとうとしたときの夢に、高貴な女性が、あちらを向いて座っていた。 近づいて見ると、恋しい人(姫君)である。 嬉しさにどうしようもなくて、

「どこにいらっしゃるのですか。(私に)こんなつらい思いをおさせになって、

(私が)どんなに思い嘆いているかご存知ですか」

と言うと、(姫君は)泣いて、

「こんなにまで(あなたが私を想っている)とは思わなかったのですが。たいそうお気の毒で」

と言って、

「もう帰りましょう(夢の中から消えていくこと)」と言うので、(中将は姫君の)袖をつかんで、

「いらっしゃる所を、お教えください」と おっしゃると、

わたつ海の……海の底ともわからず、そこがどこかもわからず、悲しく暮らしていますが、漁師たちは住吉(すみよし、住み良し)と言っております (「底」と「そこ」、「住吉」と「住み良し」の懸詞)

と言って、立ち去ろうとするのを、ひきとめて返すまいとするの(夢)を見て、 目が覚めて、「(注)夢と知りせば」(夢と知っていたなら 目覚めなかったものを)と、悲しかった。

(注)夢と知りせば……思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを(小野小町)