野分の日の垣間見
現代語訳
紫の上の御殿でも、ちょうど庭先に植えた草木を手入れさせなさった時に、このように野分が吹き始めて、歌にあるように、根元のほうの葉がまばらな小萩が(露を落とすために)待ち迎えたにしては激しすぎる風の吹く様子だ。枝も折れてひっくり返り、まったく露もとどまることができないほど吹き散らすのを、紫の上は部屋の少し端近で見なさる。光源氏が明石の姫君のお部屋にいらっしゃる時に、夕霧が参りなさって、東の渡殿の背の低いついたての上から、妻戸が開いている隙間を何気なくのぞきなさったところ、女房がたくさん見えるので、立ち止まって音もたてないで見る。屏風も、風がひどく吹いたので、押し畳んで寄せているので、見通しが丸見えである。廂の間の御座所に座りなさっている人(=紫の上)は、他の女房にまじってわからなくなるはずもなく、気高く清らかで、さっと照り映える感じがして、春のあけぼのの霞の間から、美しく樺桜が咲き乱れているのを見る気持ちがする。どうしようもなく、見申し上げる自分の顔にも移って来るように、魅力的な愛らしさは照り映え広がって、この上なくすばらしい人のご様子である。御簾が引き上げられるの女房たちは押さえて、どうしたのだろうか、紫の上が笑いなさっているのが、たいそうすばらしく見える。花々が気がかりで、見捨てて入ることがおできにならない。御前の人々も、さまざまにこざっぱりとした姿を(自然と)見渡されるが、目移りするはずもない。父上が、自分を紫の上に全く近づけず、隔ててお扱いになっているのは、このように、見る人が普通には思うはずもない紫の上のご様子を、考え深い父上の心で、もしかするとこのようなこともあるのだろうかとお思いになるのだなあと思うと、何となく恐ろしくて立ち去る時に、西のお部屋から、源氏が内の御障子を引き開けて渡りなさる。
「とてもいやだなあ、あわただしい風であるようだ。御格子を下ろしてしまいなさい。男たちがいるであろうに、丸見えだと困るよ。」
と源氏は紫の上に申し上げなさるのを、夕霧が再び近寄ってみると、紫の上が何か申し上げて、源氏も微笑んで見申し上げなさる。親とも思われなくて、若々しく美しく優美で、すばらしい容貌の男の盛りである。紫の上は女盛りで足りないことのない二人のご様子であるのを、夕霧は身にしみるほどに思われるが、この渡殿の格子も風が吹き開けて、立っている所が丸見えになるので、恐ろしくなって立ち去った。今、参上したように咳払いをして、すのこの方に歩き出しなさったところ、
「思ったとおりだ。きっと丸見えになっているだろう。」
と源氏は言って、この妻戸が開いていたのだなあと、今初めて見て気づきなさる。「長年このようなこと(=紫の上を垣間見ること)は全く無かったのに、風が本当に大きな岩も吹き上げてしまうはずのものだなあ。それほど二人の御心を騒がして、めったにない嬉しい目を見たなあ。」と夕霧は思われる。