中納言争ひ

現代語訳

この大臣は、九条殿の九男で、大臣の位に七年いらっしゃり、世間の人は法住寺の大臣とお呼び申し上げた。子供は男子七人、女子五人お持ちになった。女子お二人は、佐理の兵部卿の妹がお産みになったお子で、他の三人は、一条の摂政の娘がお産みになったお子であった。男の子達の母君は、皆別々の方でいらっしゃった。御息女の一人は、花山院の御代に女御として、たいそう御寵愛をお受けのなり、もてはやされなさったが、お亡くなりになってしまった。他のお一人も、出家された中納言(義懐)の正室になられて、亡くなられた。

男子のうち、御長男は左衛門督と申し上げた方であるが、人を憎む心を起こされ亡くなられたご様子は、じつになんとも言いようがなく良くない次第だった。他人に官位を越えられて、辛い思いをされることは、誰にでもよくあることであるが、なにかそうなる巡りあわせでもあったのであろうか。同じ参議の位についていらしても、自分の弟にお人柄や世間での評判も劣っていらっしゃったのであろうか、中納言の位に欠員ができたならば、ぜひ御自分がなろうとお思いになり、改まって弟(斎信)殿にご対面なさって、「今回の中納言の位を希望なさらないでくださいよ。私が昇進の希望を出すつもりでおりますから」と申し上げなさった所、「一体どうして兄上を差し置いて先に中納言になってりいたしましょうか。まして、そのようにわざわざいらして申されることですから、中納言の位を賜れと申請するなど、とんでもないことです」と申しあげたので、心中も納得がゆき、満足におもわれ、油断して一生懸命任官運動など申しあげないでいらした間にでもあろうか、道長の入道殿が、この御弟に、「あなたは中納言の任官を申請されないのか」とおっしゃられたので、「左衛門督が申請されるおつもりですから、どうして(わたしが申請できますでしょうか)」と、いかにも不承不承にお答え申しあげると、「いや、あの左衛門督はとても中納言にはなれまい。それに、あなたが辞退なさるならば、当然他の人が任官することになろう。」とおっしゃられるので、「そういうこと(兄はなれそうもない)になりそうならば、別の人よりは自分がなろうと思われて、中納言におなりになったのを、兄である左衛門督は「俺には決して(除目に昇進を申請)しないと言っていたではないか、陰で裏切ってだましたのだな」とお思いになって、たいそう憎む心を起こされて、除目の翌日から、手をつよくにぎりしめて、「私は斉信と道長に騙されてしまったのだ」と言い続けて、食事も全く召し上がらないで、ただただ、打ち伏せ(不貞寝)なさっていらっしゃった内に、病気になられ、七日ばかりでお亡くなりになってしまわれた。その時握りしめられた指は、握る力があまりにも強かったため、手の甲にまで抜け出ていたそうだ。