物の怪の出現

現代語訳

まだそのようである(=出産する)はずの状態ではない、とその場にいる人みんなが油断なさっているときに、突然ご産気づいて、苦しみなさるので、ますます激しい祈祷をあるだけ全部、(やむごとなき験者=修験道の行者が)お祈りさせなさったけれど、例によって執念深い物の怪はまったく憑坐に乗り移らない、立派な修験道の験者たちも、珍しいことだ、ともて余す。しかし、物の怪もさすがにたいそう調伏させられて、苦しそうに泣き叫んで、「少しこの強烈な祈祷をゆるめてくださいな。光源氏様に申し上げたいことがございます。」とおっしゃる。「思った通りだ。何かわけがあるのだろう。」と葵の上に使えている女房たちが言って、近い几帳のところに、物の怪が取り憑いている葵の上を入れ申し上げた。ひどく限界に近づいていらっしゃる(葵の上)が、申しておきたいこともあるのだろうと思って、左大臣も大宮も少し退きなさった。加持祈祷をしているお坊さんたちも声を下げて、『法華経』を読んでいるのがたいそう尊い。

几帳から垂らした布を引き上げて、見申上げなさると、たいそうひどい状態で、御腹がたいそう高くて臥していらっしゃるさまを、他人でさえも、見申し上げたとしたら、きっと心を乱してしまうだろう。まして、(夫・光源氏、父・左大臣や母・大宮が見たら)惜しんで悲しくお思いになるのは、尤もである。白い着物の色合いがたいそう華やかで、たいそう長い御髪を結んで添えているのも、このように(=物の怪に取り憑かれて今にも死にそうな状態)なって初めてかわいらしく若々しくて上品で趣深いなぁ、と光源氏の目に映る。葵の上の手をお取りになって、「ああ、ひどいことだなぁ。私を辛い目に遭わせるのですね……」と言って、物も申し上げなさらずにお泣きになるのをみると、平生はたいそう気が置けて、相手があまりに立派過ぎてこちら側が恥ずかしくなってしまうような目を、たいそうだるそうに見上げてじっと見つめ申し上げなさり、涙がこぼれている様子を光源氏が見なさると、どうしてこの夫婦の情愛が浅いと思うだろうか、いや浅く無い。

葵の上があまりにひどくお泣きになるので、親たちよりも先に逝ってしまおうとしている娘を心配している親が不憫であると、葵の上が心苦しく思っている親たちのことをお思いになり、また、このように見なさることについて残念だと思っていらっしゃるのだろう、光源氏がと思って、「何事も、そのように深く思いつめるな。症状は悪そうでも、そうたいしたことではおありでないだろう。喩え万が一のことがあっても、必ず来世に二人だけで逢う機会があるというから、きっと対面するだろう。左大臣や大宮(ご両親)などでも、深く宿縁がある仲は、この世から来世へ巡っても絶えないというので、再び対面することもきっとある、とお思いになってください。」と光源氏が慰めなさると、「いいえ、そうではないのでございます。身上がたいそう苦しいので、少しの間祈祷をお休みになって下さい、と申し上げたい、と思っているのです。このように光源氏の元に参上しようとも全く思わないのに、光源氏のことを一心に思っている人(六条の御息所)の魂は、実に自然と身を離れてしまうものであるな。」と親しげに言って、

嘆きわび 空に乱るる わが魂を 結びとどめよ 下交ひの褄

泣き叫んで、空中をさ迷っている私の魂を、つなぎとどめてください、着物の褄を結んで

とおっしゃる声や様子は葵の上ではなく、別の者(六条の御息所)に変わってしまっている。たいそう不審であるとあれこれ考えると、じきにあの六条の御息所であった。驚き呆れて、人があれこれ言っているのを、「よからぬ物どもが言い出したことだ」と、聞いていて不快であるとお思いになって、否定なさるのを目の当たりにしているうちに、世の中ではこのようなこともあるのだなぁ、と気味が悪くなった。ああ不愉快だ、とお思いになって、「このようにおっしゃるが、私はあなたが誰だか理解できない。はっきりとおっしゃってください。」とおっしゃったのて、まさにそれ(六条の御息所)であるご様子に対して、「あさましい」というのは普通である。女房が近く仕えているも、自然といたたまれなくお思いになる。