二葉の葵
現代語訳
この今上天皇(後一条天皇)や皇太子(敦長親王)様がまだ普通の親王でいらっしゃった頃、この御二人に加茂の祭を御見せ申し上げなさいました御桟敷(見物の為に高く構えた床の事)の前を斎院(賀茂神社に奉仕した未婚の内親王の事)が通り過ぎなさいましたところ、殿(藤原道長の事)の御膝に御二人ともしっかり御座らせなさいまして、斎院に「この宮達を御覧申し上げて下さい」と申し上げなさいますと,御輿の垂れ布の間から赤色の御扇の端を差し出しなさいました。殿(道長)をはじめ人々は「なんとも御心遣いが御立派でいらっしゃる斎院ですね.この様な目印を御見せにならなければ,どうして宮様達を御覧申し上げただろうとも知る事が出来ただろうか」と,感心申し上げなさいました.斎院から大宮(二親王の母・彰子,道長の長女)に申し上げなさいました御歌は
ひかりいづるあふひのかげを見てしより年積みけるもうれしかりけり (光輝かれる葵(二人の皇子の事)の御姿を見ましてからは,(これも長生きしたお蔭かと)歳をとった事さえ嬉しく感じられることです)
大宮からの御返歌は
もろかづら二葉ながらも君にかくあふひや神のゆるしなるらむ (この加茂の祭の日に幼い御二人の皇子がそろって、この様に斎院である貴女様に御会い出来たのは加茂の神による御引き合わせでしょう。)
本当に(『神のゆるしなるらむ』と歌に有ります様に)、加茂明神などが御受諾なさいましたからこそ、今上天皇と皇太子の二代まで引き続いて御栄えになられたのでいらっしゃいましょう。この事を「大層,立派な事をなさったものだ」と世間の人々が申したのに前の帥(藤原隆家,道長の甥であるが,政敵でもあった)だけは,「人に媚びへつらう古狐だな,ああ,かわいげ無い.」と申されたのでした。