ニュークラウン3
LESSON 4 全文和訳
PART 1 (P.38)
この建物は1945年に壊されました。私たちはこれを原爆ドームと呼んでいます。
このドームは戦争の悲劇を私たちに思い出させます。私たちを悲しくさせます。(一方で)このドームは平和への期待をも表現しています。私たちは平和の重要性を覚えておくべきです。
PART 2 (P.40)
エマ: 私はショックを受けました。
岡先生: 多くの人々がそう感じたのです。でも私たちが戦争の現実を見ることは重要です。
エマ: こんなことは二度と起きてはなりませんね。
岡先生: そう、だから私たちは今、そして未来の平和について考えなければならないのです。
エマ: そうですね。私たちは過去の経験から学ぶことができます。
PART 3 (P.42~P.43)
禎子さんの物語
それは(一瞬の)光で始まりました。1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。爆弾は街を破壊し、その年の終わりまでに少なくとも13万人の人が亡くなりました。(当時)2歳だった佐々木禎子さんは生き残りました。
小学校では、禎子さんは速く走ることができました。彼女は特に体育の授業が好きだったのです。大きくなったら体育の先生になりたいと考えていました。6年生の時には、彼女は学校の運動会でのリレーの選手に選ばれました。彼女は(その事で)大変喜びました。
運動会の一ヶ月後、禎子さんは突然体調を崩しました。彼女の病は爆弾によるものだと医者は考えました。「彼女が1年以上生きることは難しいだろう」と医者は禎子さんの両親に伝えました。
病院では、禎子さんはたくさんの折り鶴を受け取りました。彼女は「もし千羽鶴を作れたら、体調が良くなる」という風習を思い出しました。彼女はたくさんの鶴を折りました。彼女はたくさんの鶴を折りました。健康になるための祈りを鶴に込めました。彼女は希望を捨てませんでしたが、彼女は決して病院から出られませんでした。彼女の生涯はわずか12歳で終わりました。
禎子さんの死後、彼女の友達は(彼女の)死を受け入れることができませんでした(難しかったです)。彼らは彼女の像を立てました。それは今でも広島記念公園に立っています。毎年、多くの人が世界中から広島に折り鶴を送ります。その鶴は禎子さんのため、そして平和のためなのです。
重要単語・フレーズ
building 建物
destroy 破壊する
atomic bomb 原子爆弾
tragedy 悲劇
felt 感じた(feelの過去形)
reality 現実性
past 過去