筒井筒(P36)

現代語訳

昔、いなかまわりの行商をしていた人の子どもたちが、井戸のあたりに出て遊んでいたが、大人になったので、男も女も互いに恥ずかしがっていたけれど、心の中では男はこの女をぜひ妻にしようと思う。女はこの男を夫にしたいと思い、親が女をほかの男と結婚させようとするけれども、聞き入れないでいた。そうしているうちに、この隣の男のところからこのように歌を詠んできた。幼いころ丸い井戸の囲いと高さをくらべあった私の背丈は、もう囲いの高さを越したようですよ、あなたと会わないでいるうちに。一人前の男になった今はあなたを妻に迎えたいことです。女が、返歌として詠んだ歌には、幼い時からあなたと長さを比べあってきた渡しの振り分け髪も今はのびて肩を過ぎました。この髪をあなたでなくて、だれのために髪上げをしましょうか。などと互いに歌を詠みかわして、とうとうかねてからの望みどおり、二人は結婚した。そうして、何年かたつうちに、女は親がなくなり、頼みとするものがなくなったので、男はふたりいっしょにしがない暮らしをしていられようか、そうはしていられないといって、そのうちに河内の国の高安の郡に、新しく通っていく女ができてしまった。そうなったけれど、このもとからの妻は、男のふるまいをいやだと思っている様子もなくて、男を出してやったので、男は、女に自分以外に思う男があって、このようである自分を快く送り出すのだろうかと疑わしく思って、庭の植え込みの中に隠れていて、河内へ行くふりをして女の様子をうかがったところ、この女は、たいそう美しく化粧をして、もの思いにしずみながらぼんやりと外を見やって、風が吹くと沖の白波が立つ、その「たつ」の名がつく竜田山を真夜中に夫はひとりで越えているのだろうか。と詠んだのを聞いて、男は女をこのうえなくいとしいと思って、河内の女のところへも行かなくなってしまった。

男がごくまれにあの高安の女のところに来てみると、女は初めのうちは奥ゆかしく体裁をとりつくろっていたが、今は気を許して、自分自身でしゃもじをとって、食べ物を盛る器にご飯を盛ったのを見て、男はいやけがさして高安に行かなくなってしまった。そんなふうであったので、あの高安の女は、大和のほうを遠く見やって、あなたがいらっしゃるあたりをながめながら暮らしましょう。生駒山を、雲よ隠さないでおくれたとえ雨は降ってもといって外を見ていると、やっとのことで、大和の男が「あなたのところへ行こう。」と言ってきた。女は喜んで待っているのに、男は来ないで何度もむなしく過ぎてしまったので、女はあなたが来ようとおっしゃった夜のたびごとに、お待ちしていましたがいらっしゃることなく過ぎてしまったので、もうあなたのおいでをあてにはしておりませんが、やはりあなたを恋しく思いながら日を送っております。と詠んだけれど、男は高安の女のところに通って来なくなってしまった。