帰京

現代語訳

夜になるのを待って都にはいろうと思うので、とくに急ぎもしないうちに、月が出た。 桂川を、月が明るい時に渡る。人々がいうには、「この川は、飛鳥川ではないから、 流れがまったく変わらないことだ。」といって、ある人が詠んだ歌、
月に生えている桂の木と同じ名を持つ桂川よ。都を出た五年前と流れも変わらず 川の底に映る月の光も変わっていないことだなあ
また、ある人がいうことは、
土佐からは天雲のように遠くへだたっていると思いやっていた桂川を、 今はこのように袖を流れにぬらして渡ったことだなあ
また、ある人が詠んだ。
桂川は私の心に流れ込んでいるわけではないが、その以前と変わらぬ流れの深さは 私の帰京を喜ぶ心と同じ深さで流れているようだ。
都についたうれしさのあまりに、歌もたいへん多い。
夜が更けてから京に来るので、あちこちの町筋や景色などもはっきりと見わけられない。 都に足を踏み入れてうれしい。

家に着いて門を入ると、月が明るいのでたいそうよくあたりの様子が見える。 かねて聞いていた以上に、話にならないほどひどくこわれいたんでいる。 家に預けておいた人の心もこの家と同じように荒れはてているのだったよ。
隣家との間には隔ての垣根こそあるものの、一軒の家のようであるので、隣人のほうから 希望して留守の我が家を預かったのだ。先方からいったことなので気をつかわなくてもよさそうだが それでも、私のほうでは機会があるたびに、隣家に贈り物も絶えず届けてきた。
今夜は入京の日でもあるから「こんなひどいこと。」と従者たちにも大声で言うのをひかえさせる。
隣人のしうちがひどく薄情に思われるが、謝礼はしようと思う。
さて、邸内には池のようにくぼんで、水がたまっている所がある。そばに松もあった。
五、六年の不在の間に、ここでは千年も過ぎたのであろうか、一部分はなくなってしまったことだ。
今生えたばかりの小松が混じっている。全体がすっかり荒れてしまっているので、
「ああ、なんとひどいこと。」と人々が言う。思い出さないことはなく、あれこれと思い 恋しいことのなかで、この家で生まれた女の子が、いっしょに帰らないので、どんなにか悲しいことだろう。 同じ船で帰京した人々もみんな、子どもがまわりに集まって、にぎやかに騒いでいる。 こうした中で、やはり悲しい思いに堪えられないで、こっそりと私の心を知っている人(=妻)と詠んだ歌、
この家で生まれたわが子さえ土佐で死に帰らないのに、我が家の庭に 留守の間にはえた小松が育っているのを見るのが、まことに悲しいことだよ
と詠んだ。それでもまだ詠み足りないのであろうか、また次のように歌を詠んだ
この家で一緒に暮らして見ていた亡くなったあの子が、千年の寿命を持つ松のように いつまでも生きているのを見ることができるのであったら、どうして遠い土佐の国で あのような悲しい永遠の別れをしたであろうか、しなくてよかったであろうに。 忘れようにも忘れられず、心残りであることが多いが、書き尽くすことができない。
とにもかくにも、こんな日記は早く破ってしまおう。