為秀の秀歌
現代語訳
為秀の
しみじみとした情趣を理解する友が得難いこの世の中であるなぁ。一人で一晩中雨の音を聞く秋の夜です。
という歌を聴いて、了俊は為秀の弟子におなりになったのである。
「一人雨聞く秋の夜すがら」は意味上は上の句であるのだ。秋の夜、一人で雨の音を聞いて
「しみじみした情趣を理解する友が得難いこの世の中であるなぁ」
と思っているのである。しみじみした情趣を理解する友がいるのであれば、誘われて、どこへでも行って語り明かしもするならば、このように一人で雨を聞くはずもない。どうにもしょうがない所が特に優れていると思われるのだ。
「一人で雨の音を聞く秋の夜中だなぁ」
とでもあるならば、歌の意味が切れて終わるのだろうが、
「秋の夜すがら」
と言いっぱなしにして、切れて終わらない所が重要である。
「一人で雨の音を聞く秋の一晩中思っていたことは」
という気持ちを残して、
「夜すがら」
と言ったのである。だから
「ひとり雨聞く秋の夜すがら」
が意味上は上の句であるのだ。
「ひとり雨聞く」
が下の句であるならば、それほどの際立った点もない歌であるはずだ。