東下り(P31)

現代語訳

昔、一人の男がおりました。その男は自分の身を何の役にも立たないものと思い込み、都にはもう決して住むまい、東の国の方に住むのに良い国を見つけようと思い旅立っていきました。以前から友としている人、一人二人と一緒に出かけました。道を知っている人もおらず、迷いながらいきました。そのうちに三河の国の八橋という場所に着きました。そこを八橋といったのは、川の流れがクモの足のように八方に分かれているので、橋を八つ渡してあることによって八橋というのでありました。その沢のほとりの木の陰に馬から降りて、腰を下ろして乾飯を食べました。その沢にかきつばたがたいそう美しく咲いていました。それを見て、ある人がいうのには「かきつばたという五文字を和歌の頭において、旅の心を詠んでみなさい」と言ったので、その男が次のように詠みました。

唐衣が何度も着ているうちに慣れるように、長年慣れ親しんできた妻が都にいるので、こんなに遠くまでやってきたが、この旅がしみじみ悲しく思われることだ

と詠んだので、誰も皆、乾飯の上に涙を落とし、乾飯はふやけてしまったのです。

さらに進んでいって駿河の国に着いた。宇津の山まで来て、自分が分け入ろうとする道は、大変暗く細い上に、つたや楓が茂り、なんとなく心細く、いやな辛い目にあうことだと思っている時に、修行者がやってくるのに出会いました。「こんな道をどうしていかれるのですか?」というのを見ると、見知った人でありました。都にいる誰それという人の元にと思って手紙を書いてことづけました。

私は駿河にある宇津の山の名のように、現実にもあなたと会えないし、夢の中でも合わないことですよ。富士の山を見ると、五月の下旬なのに雪がたいそう白く降っている。時節もわからない山は富士の山だ。今をいつだと思って鹿の子模様のまだらのように雪が降り積もっているのだろう。その山は、都で例えるならば比叡山を二十ほど積み重ね上げたような高さであって、形は塩尻のようであった。

なおも進んでいって、武蔵の国と下総の国との間にたいそう大きな川がありました。その川は隅田川といいます。その川のほとりに一向が集まって腰を下ろし、旅立ってからのことを振り返ってみると、ずいぶんとおくまでやってきたものだなぁと互いに嘆きあっていると、渡し守が「早く船に乗りなさい。日が暮れてしまいます。」と言うので船に乗って渡ろうとするも、一向はなんとなく悲しく思い、それは都に恋しく思う人がいないわけではないからでありました。ちょうどそのとき、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴨の大きさの鳥が水の上に遊びながら魚を食べていました。都では見かけない鳥なので、誰も名前を知りませんでした。渡し守に聞くと、「これこそ、都鳥ですよ。」というのを聞いて、

都という言葉を名として持っているのならば、さあ訪ねてみよう都鳥よ。私が恋しく思っている人は無事だろうか。

と詠んだので、船の中の人は皆泣いてしまいました。