児のそら寝(P8)

現代語訳

二十七日。大津から浦戸を目ざして漕ぎ出す。 こうした中でとくに、京で生まれて任地に一緒に行った国司・紀貫之の女の子が、 任地である土佐の国で突然死んでしまったので、国司はこのところの出発の準備を見るけれど、 何も言わず、京に帰るのに女の子がいないことばかり、悲しんで女の子を恋しく思っている。 その場にいる人々も気の毒でがまんすることができない。 こうしている間に、紀貫之が書いて出した歌
都へ帰るのだと思うのに、なんとなくもの悲しいのは、いっしょに帰らない人があるからであるよ
また、あるときには、(次の様な歌を詠んだ)
死んでしまった女の子がまだ生きているものと思って死んだことをたびたび忘れては、
やはり死んでしまったあの子を、どこにいるのかとたずねてしまうのは悲しいことであるよ

十一日。夜明け前の薄暗いころに船を出して、室津に向かって急ぐ。 一行の人たちはみんな寝ているので、海の様子も見えない。ただ月を見て西東の方角を知った。 こうしているうちに、一行の人々は、夜が明けて、手を洗い、いつものように礼拝や食事などをして、 昼になった。今、羽根という所に来た。幼い子供が、この羽根という所の名を聞いて、 「羽根という所は、鳥の羽のようであるのか。」と言う。まだ幼い子供の言葉なので、人々が笑うときに、 例の女の子が、この歌を詠んだ。
本当に、羽根という名の所が羽であるならば、飛ぶように都へ行けたらいいなあ
と言った。一行の男も女もみんな、なんどかして早く都へ行ければなあと思う心があるので、 この歌は、上手ということはないけれども、なるほどそうだと思って、人々はこの歌を忘れない。 この羽根という所についてたずねる子供をきっかけに、また死んだ女の子を 思い出して、いつになったら忘れるのか。今日はいっそう、女の子の母(=貫之の妻)が 悲しがっていらっしゃることだよ。京から土佐に下ったときの人数に京に帰る人数が足りないので、 古い歌に「数が足りなくなって帰っていくようだ」ということを思い出して、貫之が詠んだ(歌)
この世の中に生きて、あれこれと思いやるけれども、子を恋しく思う思いにまさる思いはないことだよ
とくりかえし言ったことだ。