わやくの部屋

UNICORN 1 -Lesson 8

Haruki Murakami Abroad
海外での村上春樹

Section 1

過去30年間、私はカナダの大学で日本文学と日本映画を教えてきました。驚いたことに、日本の文学と映画に関する話題に対する学生の興味は、この間ずっと高いままでした。最初は、1980年代のバブル経済が理由でした。当時、“Japan as Number One = ナンバーワンの日本”と言われていて、日本語と日本文化について学ぶことによってお金持ちになることを夢見ていた学生もいました。バブルの後は、その夢はアニメや漫画への愛によって取って代わられました。今では、アニメや漫画と一緒に大きくなった学生が、たくさんいます。その結果、こうした学生には日本文化は、なじみのないものではまったくありません。ひょっとすると、このおかげで、今の学生が村上春樹の小説を読むときに、とても心地よく感じるのかもしれません。「(読んでると、村上春樹が)なんだか僕に話しかけてきてるように感じます」と、よく口にするのです。

村上春樹は、日本や北米だけではなく世界中でとても人気があります。私が数年前に参加した村上の翻訳者たちの集まりでは、ロシアや韓国や中国やフランスといった場所からやって来た翻訳家たちが、自分たちの国での「村上人気」を語りました。1人の日本人作家が、世界のこんなにも多くの地域でこんなにもたくさんの読者を見つけられるのは驚きでした。

Section 2

私が読んだ最初の村上の小説『羊をめぐる冒険』(1982年)をどんなに楽しんだか、今もはっきりと思い出せます。当時は(今よりも)ずっと何度も辞書を引きましたから、読むのにはずいぶん長くかかりましたが、読み終わったときには、(こんなに面白い話を読み終わってしまっって、もう読めないのが残念で)とてもがっかりして、当時の最新作『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)を買いに(本屋さんに)走って、その新作も苦労して読み進めていきました。この2作品はともに、幻想と冒険とロマンスの刺激的融合に満ちていました(→がワクワクさせる形で渾然一体となった要素でいっぱいでした)――まさに題名のワンダーランドが、ハードボイルド探偵物語と『不思議の国のアリス』と世界の終焉小説を一度に暗示していたのです。

また、私は2つの小説の名もない主人公に引かれました。表面的には、2人は冷静沈着で感情がありませんでした。友達はほとんどいなくて、家族については一切述べられていませんでした。実際に、自分の時間を一人で過ごすことに満足しているように見えました。今の日本のひきこもりに少し似ています。しかし、生活は孤独のうちに送られて行きますが、2人の主人公の固ゆでの殻の中では(→非情な顔の下では)、何かとあるいは何者かとの本当の意義深い関係性を強く望んでいました。言い換えれば、2人は私が知っている人たちと、そんなには違っていなかったのです。

Section 3

こうした近接感が、村上春樹と、主に異国風の相違点のために西洋の読者たちによって楽しまれた(村上)以前の川端康成や三島由紀夫のような日本人作家との違いです(→川端康成や三島由紀夫のような、主に異国情緒たっぷりの(西洋作家との)相違点ゆえに、西洋の読者たちに楽しまれた村上以前の日本人作家と、村上春樹との違いは、こうした近接感です)。100年以上もの間、何だかんだと言っても、西洋の人たちは、日本を芸者とサムライの国として思い浮かべるのを愛してきたのです。しかし、村上の読者たちは異なった集団です。村上が日本人だと、読者のうちのほとんどがもちろん知っていますが、しかし、そんなことは、さほど重要ではないのです。大切なのは、自分たちが理解できて、たいていは楽しめる形で語り掛けてくれるという点です。

村上は偉大な物語作家で、彼の流れるような、音楽のような文体で流れに浮かぶ小舟のように読者を運んでいってくれます。彼の(作りだす)イメージは忘れられないものです――世界のネジを巻く鳥たち、不思議な金色の一角獣、姿を消せる象たち――そして、春樹はいつでも対話の達人なのです。短編小説も長編小説も、同時代のジャズにロック、映画に文学といった大衆文化への言及に満ちています。しかし、春樹の文体はいつだってわかりやすいけれども、主人公と主題は、春樹が(文壇に)登場して以来、変わってきています。

Section 4

例えば、村上の初期の作品の主人公たちは、春樹と同じくらいの年齢の男性でした。しかし、『海辺のカフカ』(2002年)の「主人公」は、残酷なパパから逃げ、ついには『源氏物語』の光源氏のように亡き母によく似た人物に恋をしてしまう15歳の男の子です。一方、最新作の『1Q84』(2009年)は、冷血な殺人鬼の若い女性が主人公です。それと同時に(→こうした主人公象の変化と軌を一にして)、村上は1人称の文体から3人称の文体へとゆっくりと変化しています。

しかし、こうした変化は世界中の村上人気を減らす(→損ねる)ものではありませんでした。村上の成功をどのように説明すればいいのでしょうか? グローバル化がその理由でしょうか? 確かに、(以前)より強く結びつけられるようになるにつれて、テロや堕落や孤独のような私たちを悩ませる問題を共有するようにもなってきています。村上を含めて多くの作家がこうした問題を扱っています。しかし、村上は、羊所有についての話しや、脳の中心部への旅についての話しや、邪悪なカルト宗教についての話しを愛する、とても幅広い読者層を魅了しています。(村上の奏でる)音色は国の文化や言葉によって少しは違っているのかもしれませんが、結果は同じです。世界の聴衆は熱心に村上春樹の次の歌を待ち望んでいるのです。