わやくの部屋

UNICORN 1 -Lesson 6

El Sistema: The Miracle of Music
エル・システマ : 音楽の奇跡

Section 1

1975年の2月のある夜、10人程の若者がベネズエラのカラカスにあるガレージに集まりました。楽器を持ち込んで、演奏しました。ベネズエラ人の、ベネズエラ人による、ベネズエラ人のための最初のオーケストラの始まりでした。

練習場所を見つけるのに苦労しましたが、週ごとに、オーケストラは大きくなりました。1年かからないうちに、メンバーの数は100人にまで増えていきました。

オーケストラの創設者のホセ・アントニオ・アブレウ博士は、もっと多くのベネズエラの若者たちに一緒に音楽を演奏する喜びを感じてほしいと願っていました。何か新しいもの――クラッシック音楽を経験してほしいとも願っていました。

最初、アブレウ博士は、子供たちがタダで楽器をもらえる音楽学校を始めました。子供たちはすぐにクラッシック音楽に魅了されました。博士は国内の多くの場所で子供オーケストラを組織するのを手助けしました。たくさんのベネズエラ人たちがこの活動を温かく受け入れ、すぐに国家の音楽教育の制度「エル・システマ」へと発展しました。間もなく「エル・システマ」はベネズエラの音楽の奇跡と呼ばれました。

Section 2

ベネズエラにはお金持ちの人と貧しい人の間に大きな格差があります。かなりの数の子供たちが、貧しさのために犯罪に走ります。

レナー・アコスタもエル・システマに入る前には、そうした子供たちの1人でした。大望を抱いていましたが、でも間違った道に進みました。14歳の時に盗みで捕まりました。非行青少年短期収容所で、新しい人生に向けての第1歩としてエル・システマ音楽教育プログラムに入るように勧められました。エル・システマではクラリネットを与えられました。クラリネットのおかげで人生が変わったことを実感し、本当の大望とは何なのかを理解しました。初めて、人生は彼にとって興味深くなりました(→人生が興味深く感じられるようになりました)。レナーは以前の生活スタイルには2度と戻らないと決心しました。

エル・システマはレナーに手当を出してくれて、レナーは収容所を出た後も、音楽の勉強を続けることができました。今では、彼は自分自身の家族を持っていて(→レナーには家族がいて)、エル・システマの子供たちに音楽を教えています。「私の目標は自分に与えられたもの――人生のチャンス――を他の人にも与えることです」と率直に語ります。

Section 3

もちろん、エル・システマは子供たちの家族の理解と手助けがなければうまく行きません。若いティンパニストのフェリックス・メンドーザは次のように語ります。「小さかったとき、パパは空き缶でドラムセットを作ってくれました。6歳の時、ママは音楽学校に行かせてくれました。面倒を見なければいけない子供があと4人いましたが、ママは学校へ僕を送り迎えしてくれました。兄は僕が宿題を仕上げるのを手伝ってくれました。当時も今も、みんなの手助けすべてに感謝しています」

クラッシック音楽を体験するようにと、親たちが子供たちに勧めることが、とてもよくあります。エディクソン・ルイスが小さかった時、好きな音楽はロックでした。お母さんは10歳の男の子に向かってこう言いました。「気分転換にエル・システマをやってみなさいよ。もし気に入らなかったら、やめればいいんだから」 「練習室に歩いて入ったとたんに、コントラバスの音に魅了されました」とエディクソンは言います。それ以来、とても熱心に練習して、今ではベネズエラで1番のコントラバス演奏家になっています。

Section 4

オーケストラは、指導者と市民がいる一種の社会です。子供たちがオーケストラに加わった後は、他の人たちを尊敬するようになります。とりわけ、よりよいハーモニーを達成するためにはチームとして機能しなければいけないことを学びます。

今では25万人以上の子供たちがエル・システマに参加していて、ベネズエラの至る所に約200のオーケストラがあります。そのなかでも、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラは一番素晴らしいと見なされています。ヨーロッパ、日本など世界中でコンサートツアーを行っています。聴衆はベートーベンやチャイコフスキーの交響曲の演奏にワクワクします。演目が終わった後でも、魔法は解けません。アンコールでメンバー全員がベネズエラの国旗をあしらってデザインされたジャケットを着ているのを見て、聴衆は驚きます。ステージの上で体を揺らしたり踊ったりさえしながら、ラテン・アメリカの音楽を演奏します。それは聴衆をとても興奮させます(→聴衆は大盛り上がりです)。

アブレウ博士はこう言います。「子供たちみんなが音楽を楽しめれば、社会全体が洗練され、成熟し、思いやりのあるものになることでしょう。これこそが今日の世界が必要としているものです」