倭建命

現代語訳

そこで倭建命は天皇からの勅命を受けて東国へ下向なさる時に、伊勢の天照大御神の宮に参詣して、神殿を拝んで、そしてその叔母の倭比売命に申しあげなさったことには、 「天皇はまったく私なんか死んでしまえばいいとお思いだからであろうか、どうして西の方の悪い人たちを討伐するのに私をつかわせて、使命を終えて都に帰ってまいってからまだいくらもたっていないのに、兵士もくださらないで、今新たに東の方の12か国の悪い人どもを平定するのに私をお遣わしになるのでしょうか。 このことから思うに、やはり、私のことなどはまったく死んでしまえとお思いになっていらっしゃるのだ。」 と、泣き悲しんで退出なさる時に、倭比売命は、草薙の剣をお授けになり、かさねて、御袋をお授けになって、 「もし、突然のことがあったなら、この袋の口をお開けなさい。」 とおっしゃった。

さて、そういうわけで、相模の国に到着なさったときに、その国の造は嘘を言って、 「この野の中に大きな沼があります。この沼の中に住んでいる神はとても荒々しい神であるよ。」と言った。 そこでその神をご覧になりに、その野へお入りになった。 すると、その国の造は火をその野につけた。 そこで、騙されたとお気づきになって、倭建命のおばの、倭比売命がお与えいんあった袋の口を開けてご覧になると、火打石がその中にあった。 そこで、まず倭建命が太刀で草をすっかり払い、その火打石で火を打ち出して、向かい火をつけて向かいくる火の勢いを焼きのけて、その野から生還してきて、その国の造たちをすべて切り滅ぼして、すぐに死体に火をつけてお焼きになった。 そこで、今は(その地を)焼津という。

そこからさらに東へとお進みになって、走水の海をお渡りになった時に、その海峡の神は波を起こし、船をぐるぐる回したので、進み渡りになることができなかった。 そこで倭建命の妃で、名は弟橘比売命が申しあげなさったことには、 「私が、海の神の怒りを鎮めるためあなたに代わって海の中へ入ろう。御子は東征に遣わされた任務を完了し、天皇に報告申しあげならなければなりません。」 弟橘比売命が海へお入りになろうとするときに、菅や皮や絹の敷物の何枚をも波の上に敷いて、その上に下りなさった。 すると、その荒波も自然とおさまったので、船は進むことができた。 そこであの妃がお歌いになったには、 相模の野原で燃え盛る火の炎の中に立って私の安否を尋ねてくださったあなたよ・・・。

そこで、七日後にその妃の櫛が海辺に流れ着いた。 そこで、その櫛をとって、みはかを作ってその中におさめおいた。 そこから東にさらにお進みになって、すべてのこらず乱暴する蝦夷たちを言葉で服従させ、 また、山河の暴れる神たちを平定して、都へ還りのぼりなさるとき、足柄峠のふもとに到着していらっしゃるところに、その峠の神が白い鹿に化身してやってきて立った。そこですぐさま倭建命がお食べ残しになった蒜(ニラ?にんにく?)の片端をもって迎えうったところ、その目に当たり、鹿はすぐにうち殺されてしまった。 そしてその峠に上り立って、何回も嘆息なさって「吾妻はや」(私の妻よ、ああ。/あづまの地よ、ああ。)とおっしゃった。 そこで、その国を名付けてあづまという。 そしてその国を越えて甲斐へいらっしゃて、酒折の宮においでになった時にお歌いになられたことには、 新治や筑波を過ぎて幾夜寝たことか。 そこで、そのかがり火を炊く役の老人が、倭建命の歌につづいて、 日に日を重ねて、夜では九日、昼では十日になりますよ。 これにより、その老人をほめてすぐに東国の造をおさずけになった。

そこで、それから、ご結婚なさって、倭建命の草なぎの剣を、その美夜受比売命のもとにおいて、伊吹の山の神を打ち取りにおでかけになった。 ここでおっしゃったことには、 「この山の神は素手で直接とろう。」 と。その山にお登りになった時に、白い猪と山のふもとで出会った。 その大きさは牛のようであった。そして言挙げの禁忌を犯しておっしゃるには、

「この白い猪に化けているのは、その山の神の使者であろう。今殺さなくても、山の神をうちとって、帰還するときに殺そう。」 とおっしゃって伊吹山にお登りになった。

その山に、伊吹の山の神が大雨を降らせて、倭建命をうち、正気を失わせ申し上げた。 そして、かえって山を下ってお帰りになって、玉倉部の清泉に到着してお休みになった時に、倭建命の心はしだいに正気を取り戻しなさって、そこでその清泉を名付けて、居覚の清泉(いさめのしみず)とした。

そこからお進みになられて、乃穂野に到着なさった時に、故郷の大和を慕い、懐かしんでお歌いなさったには、 大和の国は、国々の中で一番良いところだ。 重なり合う青々とした垣根のような山、その山々の中に包み込まれている大和は本当に美しい。

再び、歌をお読みになったには、 生命力にあふれている人は、故郷の、大和の平群の山の大きな樫の葉をかんざしとしてさしなさい、お前たちよ。 (大きな樫の木の生命力をもらう、そして元気でいてもらいたいという無事・長寿の祈り。) この歌は、故郷を懐かしみ、そこをほめて詠んだ歌であるよ。

さらに歌をお詠みになったには、 ああ懐かしい、我が家の方向から雲が立ち上ってくるよ。

これは片歌である。この時に倭建命のご容体は急変し、危篤状態になった。 そこで歌をお読みになったことには、

美夜受比売命の寝床のあたりに私がおいた剣の太刀、その太刀よ。

歌い終わるとすぐに崩御なさった。 そうして従者たちは天皇に使いを参上させた。

ここで大和にいらっしゃる后たち、さらに御子たちはすべて下向し、倭建命の御陵をつくり、すぐにそこの水の浸かっている田で這うように回り、大きな声で泣いて歌をお読みになることには、

水の浸かっている田の稲の茎に、稲の茎に這いまわっているトコロの蔓よ。

ここで、大きな白鳥になって、天高く飛んで浜に向いて飛び出しなさった。 そうして、その后や御子たちは、そこの小竹の切り後で足を切り傷つけても、それは痛いことを忘れて泣いて追いなさった。 そこで、白鳥はその国から高く飛んで行って、河内の国の志機にとまりなさった。 そこで、その地に御陵を作ってお鎮めさせた。 そしてその御陵を名付けて白鳥の御陵という。 ところが、またそこからさらに天に上り、飛びなさった。