物語

現代語訳

その年の春は、疫病が流行して世の中がひどく騒然とし、松里の渡し場での姿を痛々しい思いで見た乳母も、三月一日に亡くなってしまった。どうしようもなく嘆いているうちに、物語を読みたいという気持ちも感じなくなってしまった。激しく泣きながら過ごしていて、ふと外を眺めると、夕日がたいそう華やかに差している辺りに、桜の花が残りなく散り乱れている。

 

散っていく花は、再びやってくる春には見ることもできよう。しかし、そのまま別れてしまった人(乳母)は、二度と見ることができないので、恋しくてならない。

 

また聞くところによると、侍従の大納言の姫君がお亡くなりになったそうだ。夫君の殿の中将が嘆き悲しんでいらっしゃるごようすも、私自身が嘆き悲しんでいるときでもあったから、まことにお気の毒なことと聞いた。京に着いたとき、父が「これを手本にしなさい」と言って、この姫君のご筆跡を下さったが、それには「さ夜ふけて寝覚めざりせば(夜が更けて目が覚めなかったならば)」などと書いてあり、「もしも火葬場のある鳥辺山の谷から煙が立ったならば、前々から弱々しく見えていた私だと知ってください」と、何とも言えずすばらしく、みごとな筆跡で書かれている歌を見ると、いっそう涙をそそられる。

私がこのようにずっとふさぎ込んでいるいるので、気持ちを慰めようと心配して、母が、物語などをさがして見せてくださり、なるほど気持ちが自然と晴れていく。『源氏物語』の紫上についての巻を読み、続きが読みたく思われるけれど、誰にも相談することもできない。家の者はだれもまだ都に慣れていない時だったので、物語を見つけ出すこともできない。とてももどかしく、読みたくてたまらないので、「この『源氏物語』を一の巻からみなお見せください」と心の中で祈る。親が太秦に参籠なさる際も、他の事はお願いせず、ただ物語のことばかりをお願いして、寺から出てきたらすぐにこの物語を終わりまで読んでしまおうと思っているのに、かなえられない。とても悔しくて嘆かわしい気持ちでいると、おばに当たる人が田舎から上京してきたところに母が私を差し向け、おばが、「たいそう可愛らしく成長しましたね」などと懐かしがったり珍しがったりして、帰りがけに、「何を差し上げよう。実用的な物ではつまらないでしょう。欲しがっていると伺っている物を差し上げましょう」と言って、源氏の五十余巻を櫃に入ったまま全部と、在中将・とほぎみ・せり河・しらら・あさうづなどの物語を一袋に入れてくださった。それをいただいて帰るときのうれしさといったら、どう言い表したらよいか分からない。

 

これまで胸をどきどきさせながら、ところどころだけ拾い読みしては納得いかなくて、じれったく思っていた『源氏物語』を、最初の巻から読み始めて、だれにもじゃまされず几帳の中に横になり、次々に読んでいく気持ちは、后の位も問題にならないほどだ。昼は一日中、夜は目が覚めている間じゅう、灯を近くにともして、これを読む以外何もしないで過ごしているので、しぜんに頭の中にそらでも文句が浮かんでくるようになったのをうれしく思っていると、夢の中に清浄な感じの僧侶が黄色い地の袈裟を着て出てきて、「法華経の五の巻を早く習いなさい」と言った夢を見た。しかし、これを誰にも話さず、法華経を習おうという気持ちになれない。物語のことで頭がいっぱいで、私は今はまだ器量はよくない、でも年ごろになったら顔立ちも限りなくよくなり、髪もすばらしく長く伸びるに違いなく、きっと光源氏に愛された夕顔、宇治の大将の恋人の浮舟の女君のようになるはずだわ、と思っていた私の心は、何とも他愛なく、とてもあきれ果てたものだった。