花園の左大臣の家に、初めて参った従者が、名簿の端に書き添えて
「得意なことは歌を詠むことです」
と書きました。
大臣が、秋のはじめごろに、南殿に出て、きりぎりすの鳴く声を愛でていらっしゃったのですが、日が暮れたので
「格子を下ろしに、誰か参れ。」
と命じられたころ、
「蔵人の五位がいつもと違っていないので、私の他に人がおりません。」
と申し上げて、この従者が参上しました。
「かまわないから、それではお前が下ろせ。」
と命じられたので、その従者は御格子を下ろし申し上げていたところ、大臣が
「お前は歌詠みであったな。」
とおっしゃられたので、従者はかしこまって御格子を下ろす手をとめました。大臣が
「このきりぎりすの音をどう聞く。この虫の音を題材に一首お詠みなさい。」
とおっしゃられたので、従者は
「青柳の」
と最初の句を申し上げ始めたところ、その場にいた女房たちは、季節に合わないと思ったようで笑い出したので、大臣は
「最後まで物を聞かずに笑うことがあるか、いや、あってはならない。」
と仰せになって、
「早く詠み申せ。」
と命じられたので、
青柳の緑色の糸をたぐっていた夏を経て秋になったので、たぐっておいた糸を使って機織り(はたおり)で布を織ろうとしたのですが、はたおり(きりぎりす)が鳴いているではありませんか。
と詠んだので、大臣は感動なさって、荻が織ってある直垂を、(しまってあった御簾から)押し出して、(従者に)お与えになりました。
場面は変わって寛平の歌合せのときに、
「初雁」
を題材にした歌を詠むときに、友則が
春霞よ、その霞の中に飛んでいってしまった雁は、今は秋の霧の上で鳴いている
と詠んだとき、友則は左方にいたのですが、最初の五文字を読み上げた時に、右方の人が、声々に笑いました。それから(友則は)次の句に、
「かすみていにし」
と言ったときには、その笑い声もなくなってしまいました。冒頭で述べた従者の歌詠みの話は、この話と同じことでしょうか。