わやくの部屋

PRO-VISION 1 -Lesson 10

Designed for Peace, Hope, and Smiles
平和、希望、笑顔のためのデザイン
The great end of life is not knowledge but action. ―― Thomas Henry Huxley
人生の大きな目的は知識ではなく行動だ。――トーマス・ヘンリー・ハックスリー

Section 1

雨宮清さんは1994年、カンボジアを訪れました。日本で建設機械の会社を経営していました。カンボジア内戦の終結からそんなに経っていませんでした。(ですから、)雨宮さんはカンボジアで新しいビジネス(チャンス)を見つけることを期待していました。しかし、雨宮さんに起こったことは、人生を変えるような経験でした。

プノンペンの市場で、雨宮さんは戦争で負傷したたくさんの人を見かけました。そんな人たちの中に、1人の小さな女の子がいました。右ひざから下を失った老婦人と一緒にいて、ぼろぼろの服を身にまとっていました。老婦人は、雨宮さんに「地下の爆発物」、すなわち地雷によって傷ついたと話しました。この話にショックを受け、婦人の手に1ドルを渡しました。できることと言ったらそれだけでした。婦人は「カンボジア国民を助けてください!」と両手を握りしめて、懇願しました。この老婦人を見てると、雨宮さんはお母さんを思い出すのでした。お母さんは常々、「よそ様のお役に立てるように頑張んなさい!」と言っていました。雨宮さんは自分の人生について考え始めました。「中学出てからずっと、一生懸命、働いてきた。でも、他の人の役に立つようなこと、何かやったことあったかなぁ?」

日本に帰る飛行機の中で、雨宮さんはカンボジアの人たちを助けるために何ができるのだろうかと考え始めました。ある考えを思いつきました。「俺はエンジニアだ。だから、地雷を取っ払う機械を作ればいいんだ!」

Section 2

日本に帰国するとすぐに、雨宮さんは従業員に自分の考えを説明しました。「他人を救う努力をするってことは、お金儲けよりも大切だと思うんだ。この計画は俺たちをお金持ちにはしてくれない(→この計画では利益は上がらない)かもしんないけど、でも、みんな俺に付いて行きたいって思ってくれる(→俺と一緒にやってくれる)と期待してっから。この仕事で危ないとこは全部おれがやる(心の)準備はできてるから」と言いました。雨宮さんの情熱と責任を持つという決意に、従業員は動かされ、雨宮さんを支えることにしました。6人からなるプロジェクトチームが1995年に出来ました。

雨宮さんはカンボジアに引き返し、地雷についてと、地元の人がどのようにして地雷を取り除いているのかについてをもっとたくさん学びました。また、どのような(種類の)支援が必要とされているのかを見極めたいと思っていました。

調査に4カ月を費やした後、カンボジアの地雷はほとんどが植物におおわれているということがわかりました。地元の人は、地雷除去作業を始める前にこうした植物を取り除かなければいけませんでした。これには多くの時間がかかっていました。地雷除去に加えて、作業員は毒蛇やマラリアを運ぶ蚊に気を付けなければいけませんでした。雨宮さんは、何をしなければいけないのかを理解しました。「こうした植物をなぎ倒して突き進む機械があれば、地雷をずっと安全に素早く取り除けるんだけどなあ」と考えました。

Section 3

雨宮さんは、考えを紙に書き留める作業を日夜、行いました。そしてついに、基本的なデザインを完成させました。人間の腕のように動く腕を持つようにするために、油圧ショベルを使う考えを思いついたのです。雨宮さんの計画は、植物を切ったり、植物をわきにどかしたり、地雷を爆発させるための装置を腕の先端に作る(→取り付ける)というものでした。

第1の問題は、小さな木や竹を取り除けて、地雷を爆発させられるとても強くて熱に耐えられるカッターが必要だという点でした。地雷が爆発する際の温度は1,000℃に達します。使えるそのようなカッター(→そのような条件を満たすカッター)はどこにもありませんでした。しかし、雨宮さんのチームは、必要なことをことごとくこなせる独自の金属カッターを最終的に作りました。次に、チームは運転台を安全にするように懸命に取り組み、それから、維持作業がカンボジア国内で出来ることを確実なものにしました。

1号機は4年半後に完成しました。しかし、実地試験がまさに始まろうとするちょうどそのときに、新たな問題が浮上しました。日本の「武器輸出三原則」に関連するものでした。1号機を輸出する許可を得る前に、雨宮さんは何度も日本政府と話し合わなければいけませんでした。1号機は国内外のすべてのテストにものの見事に合格しました。さらに、雨宮さんは毎回のテストの後で1号機を改良しました。

Section 4

地雷除去1号機は、2000年にカンボジアで作業を開始しました。それ以来ずっと、雨宮さんの機械は、家や学校の近くで地雷を除去し続けています。

ある日、地雷が除去された後の土地を訪ねてきた農夫たちがいました。「これで豆が植えれる! この土は希望にあふれてる。おらたちゃ、ちゃんと世話せにゃいかんなぁ!」と、そのうちの1人が指で土を優しく触りながら言いました。もう一度、野菜や米を育てて、服や薬を買って、子供を学校に通わせる機会を持ったのです。

人々の生活が普段通りに戻るまで、地雷の除去作業は完了することはないんだ、と雨宮さんは感じました。地雷が取り除かれた土地に日本政府からの支援で学校が建てられたときに、雨宮さんはとてもうれしかった。子供たちはニコニコ顔で、安全に走り回りました。

(雨宮さんの開発した)地雷除去機は、今では世界中で高く評価されています。しかし、雨宮さんは機械の改良を熱心に続けています。「日本には誇りをもって世界に提供できる技術がある。世界中で苦しんでいるみんなのために、こうした技術を最大限に活用すべきです。俺は、世界中の地雷を全部取り除くために俺の技術を使い続ける覚悟です。平和をもたらし、肥沃さを土地に甦らせ、子供たちの顔に笑顔をもたらす手助けがしたいんだ」