わやくの部屋

POLESTAR 1 -Lesson 5

The Story of Amazing Grace
アメイジング・グレイス物語

音楽ヒットチャートで聞くメロディはたいていが全く新しいのですが、時には、ここで見ていくように、古いメロディが大ヒット曲になることもあります。

Section 1

アメイジング・グレイスはとても人気のある歌です。何百万人もの人が人生で少なくとも1回は聞いたことがあります。日本で、多分一番有名なバージョンは本田美奈子が歌ったものでした。2003年の発売から2年後に、美奈子は入院しました。白血病でした。病院で美奈子はボイスレコーダーにこの歌を録音しました。同じ病院に入院中の友達を励ますためでした。それから少しして、2005年11月に美奈子はこの世を去りました。

 美奈子の遺志に従って、広告が骨髄バンクのために作られました。その広告では美奈子のボイスレコーダー(に残っていた)バージョンのアメイジング・グレイスが使われました。たくさんの人が美奈子の美しい歌声に心を打たれました。しかし、ほとんどの人はこの曲の背後にある意味を全く知りません。

 アメイジング・グレイスの元々の歌詞は、ジョン・ニュートンという名前のイギリス人によって18世紀に書かれました。この讃美歌を書いた理由は、むしろ興味深くて、思いがけないものです。

Section 2

ジョン・ニュートンは1725年、ロンドンで船長の子として生まれました。11歳の時、お父さんと一緒に初めて海に出ました。大きくなって、奴隷貿易の仕事を見つけました。奴隷をアフリカの西海岸から新世界まで連れて行きました。当時、奴隷貿易は違法ではありませんでした。ニュートンは奴隷貿易の仕事に何の疑念も抱いていませんでした。

 1748年、22歳の時、ニュートンは人生を変える出来事を経験しました。大西洋で大きな嵐の最中に(→嵐に出会ったときに)起こりました。ニュートンの乗った船は沈没寸前でした。人生で初めて神に向かって叫びました。「主よ、我々にご慈悲を!」 やっとのことで嵐は過ぎ去り、船は何とかアイルランドにたどり着きました。ニュートンは奇跡だと思いました。

Section 3

ニュートンは神のご加護の結果として生き延びられたと信じました。陸地に着いた時、まっすぐに教会に行き、洗礼を受けました。その後、神への信仰は徐々に高まり、己の犯してきた罪を悔いるようになりました。仕事で出会った奴隷への同情心も芽生え始めました。

 30歳の時、ニュートンは脳卒中を起こしました。医者は船乗りとしての人生をあきらめるように言いました。ニュートンは税徴収人として働きましたが、幸せではありませんでした。ニュートンは自分自身よりもむしろ神に仕えるべき時がやって来たと感じました。1764年、イギリスの田舎のオウルニーという小さな村の聖職者になりました。この頃、ニュートンはキリスト教のメッセージ(=キリストの教え)を信者に伝えるためにたくさんの讃美歌を書きました。海での(→嵐の中での)奇跡の救済という記憶を忘れたことは一度もありませんでした。この救済のイメージが、アメイジング・グレイスという有名な詩を書いた時に頭の中にあったイメージだったのです。

Section 4

アメイジング・グレイスの元の歌詞は1779年に出版されました。『オウルニーの讃美歌集』という讃美歌集の一部でした。しかし、ニュートンの生きている間には、アメイジング・グレイスは今日、知られているメロディに合わせて歌われたことはありませんでした。あの美しいメロディはずっと後になって使われました。このメロディがどこから来たのかはっきりしませんが、この起源はアメリカ南部のゴスペル・ソングにあると、多くの人が考えています。アメイジング・グレイスのメロディは奴隷の間でとても人気があり、徐々にアメリカ全土に広まっていきました。

 1970年、ジュディ・コリンズによってレコーディングされた曲は世界的な大ヒットになりました。日本では、1987年、白鳥英美子がこの歌でヒットを飛ばしました。それ以来、(日本でも日本語バージョンの)アメイジング・グレイスの他の多くのバージョンが、本田美奈子を含む他の有名な歌手によって作られてきています。

 そのメロディの美しさのおかげで時間と空間の制約(→壁)を超えてアメイジング・グレイスは広まっています。アメイジング・グレイスがこれからも長い間、何百万人もの人々の心の中で生き続けることは疑いありません。