わやくの部屋

POLESTAR 1 -Lesson 3

The Adventures of Ishikawa Naoki
石川直樹の冒険

Section 1

石川直樹は外国の(いろんな)場所について学ぶのが大好きな高校生でした。一人での海外での冒険を(→自分一人で海外に出かけて冒険をするシーンを)想像することがよくありました。海外で一人でする冒険旅行

 ある日、世界史の授業で、先生がインドへ旅をしたときのことを話しました。直樹はインドで食べられているなじみのない食べ物やいつもとても混雑している通りの描写(→話)に魅了されました。自分でぜひ行きたいと強く思いました――できるだけ早く!

 直樹はバイトを見つけて、(手にした)お金を全部貯金し始めました。両親はこの計画が気が気ではありませんでした。でも、直樹は固く決めていました。1994年の夏休みに小さな黒いバックパックを持って、冒険旅行に出かけました。

Section 2

直樹はインドで目にするものに驚きました。ガンジス川に浮かぶ死体、路上で生活する子供たち、自由に歩き回る牛や象。こうしたものはなんて日本と異なっていたことでしょう! インドでの冒険が世界に目を開きました(→インドで珍しい経験をしたおかげで、世界に目を向けるようになりました)。日本に帰って来た時、日本(人)の生活様式をとても(それまでとは)違った視点から眺めました。

 大学入学後、直樹は(長期)休暇に旅を続け、写真に真剣な興味を抱くようになりました。直樹にとって写真は旅を記録する手段というだけではありませんでした。何かを発見する手段でした。旅から帰った後、写真を見ては、新たな発見をするのでした。

Section 3

2000年、直樹は「極から極まで2000」という企画(プロジェクト)に参加しました。この企画では、国籍がほぼ全員異なった8人の若い男女が北極から南極まで行きました。参加者は自分たちの力だけ使いました――スキーで滑り、自転車に乗って、カヤックをこぎ、歩いたのです。この旅の間、「愛と憎しみの討論会」と呼ばれる話し合いを定期的に開きました。こうした討論会では他のメンバーの好きな点、嫌いな点を正直に話しました。他の参加者の人となりを知ることは、不必要な争いを避けるのに役立ちました。

 旅の間に、直樹は報告を書いて、自分のサイトに写真付きでアップしました。世界中の人がサイトを訪れ、直樹の冒険を分かち合い、自分たちの普段の生活を超えたものを学び取りました。2000年12月31日、直樹は雪に覆われた南極点に誇らしげに立ちました。それは新しい年の始まりを祝うのには素晴らしい方法でした。

Section 4

2001年5月23日、直樹は再び、どこかとても特別な場所にいました。世界最高峰のエベレストの頂上にいたのです。七大陸最高峰――7つの大陸それぞれで一番高い山――のうち他の6峰を全部登った後で、エベレスト山頂にいたのです。風は穏やかで、空は鮮やかな青でした。直樹は周りを見回しました。地球上で他のどんな場所よりも高かった! それは最高の気分でした。

 直樹は世界中を旅し、探検し続けます。冒険家としてだけではなく、写真家としてもよく知られるようになってきています。2010年のインタビューで、直樹はこう言いました。「行っていない、見ていない場所がまだとてもたくさんあります。」 石川直樹のような探検家にとってさえ、世界は広く大きい場所なのです。