わやくの部屋

ELEMENT 1 -Lesson 10

Playing the Enemy

Section 1

1995年ラグビーワールドカップ南アフリカ大会の最終戦は、世界中のほとんどの人にとって一番興奮する国際試合の1つでした。しかし、南アフリカの人たちにとっては、それ以上の意味がありました。南アフリカにいる多くの異なる民族のうちのすべての国民が、将来への大きな希望をもってこの試合を見ていました。かつては敵同士だった人たちが、自分たちの国の代表チームを一緒になって応援していました。

Section 2

南アフリカでは黒人が、長い間、アパルトヘイトと呼ばれる制度の下で差別されていました。黒人たちは白人と別々に離れて暮らし、公共の場所では別々のイスを使わなければいけませんでした。結局最後には、この考えに反対する人たちが、国の内外で共に数を増やし始めました。ネルソン・マンデラが警察に連行され、刑務所に入れられたとき、マンデラはこうした人たちのグループを率いていました。マンデラは1990年にやっと釈放されるまで、27年間そのような状態を続けさせられました。

Section 3

マンデラは1994年に南アフリカの大統領になりました。同じ年に、アパルトヘイトは終わりました。しかし、黒人たちは、長年苦しんできたつらいときのことを忘れることができませんでした。それと同時に、白人たちは、今では黒人たちを恐れていました。黒人たちが自分たちにとても怒っていたからです。黒人と白人が、仲良くなるのは程遠かったのです。事実、両者は戦争の1歩手前の状態でした。

Section 4

こうした問題を解決するために、マンデラは、みんながお互いにもっと近い存在だと感じられるように、スポーツを使うことができると考えました。南アフリカでは、ラグビーは「白人のスポーツ」でした。黒人たちは南アフリカの代表チームのスプリングボクスをとても嫌っていて、スプリングボクスを応援しないで、外国のチームを応援していました。マンデラは、もし異なる色の人たちが一緒になってスポーツをしたり、同じチームを一緒に応援すれば、もっと親しくなれると考えました。

Section 5

スプリングボクスを率いているピナールと他の選手たちはネルソン・マンデラの考えを支持していました。最初は、自分たちが新しい国家のために何か大切なことをしているとは考えなかったけれども、次第にマンデラが「1つの国に、1つのチーム」という言葉で何を意味しているのかを理解するようになりました。

Section 6

選手たちは、マンデラが捕らわれの身で過ごした島を訪れたときに、マンデラの気持ちをもっとよく理解するようになりました。この島は当時まだ刑務所として使われていました。選手たちは、マンデラがそんなにも長い間、いなければいけなかった独房を見ました。選手たちは1度に2・3人ずつ独房に入りました。独房はそれ以上たくさんの人が入れなかったからです。その小さな箱を見て、選手たちは白人が過去に黒人に対して行っていたことを理解しました。

Section 7

マンデラの独房を見た後で、スプリングボクスの選手たちは、その刑務所の囚人たちに会いました。全員黒人でした。選手たちは、囚人たちに僕たちは今では黒人を含む国全体を代表していると言いました。これを聞いて、囚人たちは選手たちのために歌を歌い始めました。囚人たちは自分たちの敵を許そうとしていました。

Section 8

マンデラは国をあちこち回って、人々にスプリングボクスを応援してくれるようにお願いしました。しかし、簡単なことではありませんでした。多くの人は過去を忘れることはできなかったのです。

Section 9

チームが次々と勝ち進むにつれて、雰囲気は次第に変わって行きました。ワールドカップの前までラグビーのルールさえ知らなかった黒人たちが、白人と一緒になってラグビーをすることに興味を持つようになりました。スプリングボクスが上手に試合をすればするほど、より多くの黒人たちがラグビーをし始めました。ついに、国全体が試合を興味を持って見守り、スプリングボクスを応援していました。ますます多くの人が新しい国旗を振り始めました。これはアパルトヘイトの真の終わりを意味していました。

Section 10

チームは、ついに最終戦でニュージーランドのオールブラックスと対戦しました。試合の5分前に、ネルソン・マンデラは選手たちと握手をするためにフィールドに足を踏み入れました。マンデラは緑色のスプリングボクスの帽子をかぶり、ユニフォームを着ていました。観衆がマンデラを見たときに(一瞬)静まり返りました。それから合唱が始まりました。最初は小さく、しかし、ドンドンと音も強さも高まって行きました。白人の群衆も1つになって、1つの国家として、合唱を始めました。「マンデラ! マンデラ! マンデラ!」と、何度も何度も繰り返しました。魔法の瞬間でした。

Section 11

その試合を人々に記憶してもらうためには、スプリングボクスは勝たなければいけませんでした。前半40分が終わったときには、スコアは9対6で南アフリカのリードでした。しかし、後半にオールブラックスが得点をあげ、9対9の同点で前後半が終了しました。ラグビーワールドカップでは初めて、試合は前後半各10分の延長戦に突入しなければいけませんでした。肉体的にも、精神的にも選手たちはとても疲れていましたが、ピナールはチームメイトに「周りを見てみろ。あの国旗が見えるか? あの人たちのためにプレーするんだ。南アフリカのために、俺たちがやり遂げなきゃいけないんだ」と言いました。試合終了6分前に、南アフリカはついに、勝利に導いてくれるドロップゴールを決めました。

Section 12

テレビのレポーターがフィールド上のピナールのところにやって来て、尋ねました。「このスタジアムの62,000人のファンに応援してもらってどんな気分でしたか?」

ピナールは「僕たちの後ろには応援してくれる62,000人のファンがいたわけじゃないんだ。南アフリカの4,300万人がいたんだ」 スタジアムには古い国旗は1本もありませんでした。みんなが涙ながらに、新しい国旗を振っていました。