PROMINENCE 1 -Lesson 6
A Strange but True Superhero
変わってるが本物のスーパーヒーロー
Section 1
『あんぱんまん』は、今よりずっと前、1973年に出版されました。
それは、やなせたかしが55歳になった年でした。
『あんぱんまん』が出版された頃、やなせは漫画家として有名ではありませんでした。
頭がパンでできているアンパンマンは、彼の最高傑作のスーパーヒーローでした。
おなかを空かせた子供を見つけると、アンパンマンは自分の頭の一部を食べ物として彼らに差し出しました。
初期の本の中では、彼はまた、継ぎ当てのある古い肩マントを羽織っていたが、彼はそれを気に入っていました。
アンパンマンは、スーパーヒーローらしくないスーパーヒーローでした。
第2次世界大戦後、アメリカ文化が日本に影響を与え始めました。
スーパーマンのようなスーパーヒーローたちが子供たちの間でとても人気がありました。
日本の多くの子供たちが、肩マントを羽織って悪者と戦うふりをしてスーパーマンごっこをしました。
やなせにはスーパーヒーローについて独自の考えがありました。
「ああいったスーパーヒーローたちは彼らの敵を負かして、正義がなされたと言う。
でも、私は彼らが真のスーパーヒーローだとは思わない。
真のスーパーヒーローは、困っている人たちを助けてあげるものだ」
Section 2
やなせは生涯を通して正義について考えました。
彼は若い頃、漫画家になりたがっていました。
しかし、当時日本は戦争中であり、彼は兵士にならなければなりませんでした。
彼が戦争に行ったたとき、それが「正義のための戦争」だと言われました。
24歳のとき、彼は中国に派遣されました。
第2次世界大戦の終結直前には、彼は中国の戦場を1,000キロも歩かされました。
彼は軍隊で本当の飢えというものを目にし、体験しました。
それは彼にとってつらい記憶となりました。
日本が負けて戦争は終わりました。
多くの人々が、それでもなお苦しんでいました。
やなせには、正義が他人を倒すことを意味するとは思えませんでした。
彼は「時の試練に耐えうる真の正義とは何なのだろうか」と自問しました。
それから彼は、正義とは飢えている人々に食べ物を与えることだと考えるようになりました。
このことが、彼をアンパンマンのアイディアに導いたのです。
Section 3
最初の『あんぱんまん』は戦争から28年後に出版されました。
当時、幼稚園の先生の中には、子供たちにそれを読んでほしくないと思う人もいました。
彼らは、自分の頭を他人に食べさせるのは残酷だと思ったのです。
評論家の中には、子供がそのような物語に興味を持つことは決してないだろうと言う人もいました。
彼らは、『あんぱんまん』は子供たちが読むのに良い本だと思いませんでした。
それらの批判にもかかわらず、やなせは『あんぱんまん』を描き続けました。
それから彼はいくつかの変化に気づき始めました。
1人の父親が、自分の子供は「アンパンマン」が大好きで、何度も繰り返して読んでいると言いました。
ある幼稚園の先生は、彼女の幼稚園では『あんぱんまん』の本がすぐにぼろぼろにすり切れてしまうので、何部か購入したと言いました。
やなせは、彼の小さな読者たちの心をつかむことができたのでした。
『アンパンマン』に取り組み続けるにつれて、子供が手ごわいということを彼は理解し始めました。
「彼らは無邪気で、常に率直な答えを与えてくれる。彼らは、気に入らない本は放り投げてしまう正直な批評家だ」と彼は言いました。
彼は自分のメッセージを誠実に伝えることに決めました。
子供たちへのメッセージは、「正義とは何か。人は皆、傷つくことなしに正義を行うことはできない」というものでした。
Section 4
2011年3月11日の東日本大震災の直後、「アンパンマンのマーチ」へのリクエストがラジオ局に殺到しました。
この歌をリクエストした人たちはおそらく、災害を経験したすべての子供たちにこの歌を聞くことを望んでいたのでしょう。
彼らは「たとえ胸の傷が痛んでも、生きる喜びがどれほどすばらしいか私にはよくわかる」というような歌詞が、子供たちを元気づけるだろうと信じたのです。
しかし、大人たちもまたその歌に勇気づけられ、それで自分たちのリクエストを繰り返しました。
この歌は、東北で奮闘している人たちだけでなく、日本中の人たちに慰めと勇気を与えました。
その年、やなせは92歳で、引退するつもりでした。
しかしながら、その災害が彼の考えを変えました。
東北の人たちを勇気づけるために、彼の目はかなり衰えていたけれども、彼は新しいアンパンマンのポスターを描きました。
その後、彼は津波を生き残った有名な松の木について歌を書きました。
彼は自分自身をその松の木に重ね合わせたのでした。
2年後に彼は亡くなったが、私たちにアンパンマンを残してくれました。
もしアンパンマンがいなかったら、私たちは笑顔と愛と勇気の大きな源を持たずにいることになるでしょう。