わやくの部屋

PROMINENCE 1 -Lesson 5

Katsushika Hokusai, a Japanese Genius   葛飾北斎、ある日本の天才

Section 1

1998年に、アメリカの有名な雑誌『ライフ』が、調査で次の質問をしました。

「この1,000年で最も重要な人物は誰でしたか」

その雑誌は上位100人のリストを作りました。

トーマス・エジソン、クリストファー・コロンブス、マルチン・ルターが上位の3人でした。

このリストの中に、たった1人の日本人がいました。

それが誰だったかを推測できますか?

江戸時代の有名な浮世絵師、葛飾北斎がそのリストに載っていました。

あなたはなぜだろうと不思議に思うかもしれませんが、有名なフランスの画家エドガー・ドガの次の言葉が、あなたの疑問に答えるでしょう。

彼は書きました。

「北斎は『浮世』の他の(芸術家たちの)中のただの一芸術家ではありません。彼は島であり、大陸であり、そして彼自身が全世界なのです」

19世紀後半に、北斎やほかの浮世絵師の作品がヨーロッパに紹介されました。

それらは西洋美術に大きな影響を与え、その運きはジャポニスム(日本風)と呼ばれました。

実際、この影響について知ることは、クロード・モネ、ビンセント・バン・ゴッホ、そしてさらにパブロ・ピカソのような偉大な芸術家たちの作品をより深く理解することを可能にします。

Section 2

1856年頃にフランスの画家フェリックス・ブラックモンは、偶然、何枚かの『北斎漫画』の版画を見つけ、それらは彼に大きな感銘を与えました。

おそらく、それらは日本からの磁器を梱包するのに使われていました。

その頃まで、ヨーロッパの絵画は主に戦争や宗教や有力者を題材についてでした。

これに対して『北斎漫画』は、あらゆる種類のものを描いていました。

それは、ふつうの人々、小さな生き物、想像上の動物、幽霊を含んでいました。

これらのテーマはヨーロッパの美術界には新鮮だったのです。

フェリックスの友人のエドワール・マネもまた、日本人画家の作品が大好きで、これらのアイデアのいくつかを借用しました。

例えば、彼の作品の人物は平面的な外観で輪郭が黒く描かれていました。

これらは日本の木版画からの影響でした。

多くの芸術家が浮世絵師の作品や一般の日本の美術にひらめきを与えられました。

その中には印象主義と呼ばれる新しい絵画様式を起こした画家もいました。

例えばビンセント・バン・ゴッホは日本美術の大ファンでした。

彼は、何百枚もの浮世絵の版画を収集し、彼の何枚かの絵の背景にそれらを使いました。

Section 3

北斎は並外れた才能と性格の人でした。

彼は、私たちに『北斎漫画』や『富嶽三十六景』を含む多くのすばらしい作品を残しました。

彼は93回引っ越しをしたと言われています。

彼は絵画様式を変えるにつれて、画号を30回以上変えました。

日本の芸術家が名前を変えるのはありふれたことでしたが、北斎は他の芸術家の誰よりも多く名前を変えました。

ここに彼の独特の才能と性格を示すエピソードがあります。

彼は一連の『北斎漫画』に取り組んでいたときに、ある人々が彼はごく小さな絵が描けるだけだと言うのを聞きました。

これを聞いたとき、北斎は大勢の人たちの前で大きな「だるま」の肖像画を創作しようと決心しました。

彼は大きな筆で数時間にわたって描き続けました。

それはあまりに大きかったので、人々は翌朝、それが高い足場から吊るされるまで、彼が何を描いたのかわかりませんでした。

Section 4

北斎は1760年に現在の東京都墨田区にあたる江戸の葛飾郡に生まれ、1849年に90歳で亡くなりました。

彼は生涯貧しかったですが、芸術に心身を捧げたのです。

彼は『富嶽百景』の最後にこう書きました。:

「6歳の頃、私は楽しみながらものを描きました。

50歳からは、私は人々が好む絵を描きました。

しかしながら、70歳以前の私の絵にはすべて価値がありません。

70歳かそこらのとき、私は動物の構造や植物の生を理解するようになりました。

86歳までには、私はきっとそれらをずっとよく理解するでしょう。

そして90歳までには、私はそれらをもっと深く理解しているでしょう。

100歳のときに、私は完全に理解していないだろうか。

110歳か120歳のときには、私が描くあらゆる点や線が生き生きとしていることでしょう。

だから、神様、これが事実だと証明する機会を私に与えてください。」

彼はまた、死ぬ前に「もし私にあと10年か、5年だけでもあったら、私は本物の画家になることでしょう」と言いました。

世界の美術を変えた偉大な芸術家は、画家としての自分自身に満足することは決してなかったのです。