わやくの部屋

POLESTAR 2 -Lesson 6

The Miracle of Curitiba
クリティバの奇跡

クリティバって聞いたことありますか? 環境への革新的な取り組みで世界中から注目を集めているブラジルの都市です。

Section 1

ブラジル南部の都市クリティバは、2010年の時点で人口180万人を有する、ブラジル国内で7番目に大きな都市です。クリティバは、たくさんの日系移民の住んでいるところです。実際に、クリティバには伝統的な日本庭園とともに京都の有名なお寺・金閣寺の複製があります。

クリティバは持続可能な環境を持つ町として世界の注目を集めてきています。1960年代には、クリティバは人口60万人で、他の大都市と同じようによくある都市問題に苦しんでいました。問題は、交通渋滞と不十分な公共輸送機関から、公園や緑地不足にまで及んでいました。しかし、クリティバは、卓越した都市計画を採用することによって、こうした問題のうちの多くを解決しました。1964年に、クリティバ市議会は、同市の環境問題を解決するアイディアを求めて公開コンペ(=参加には何の制限もない、参加資格不問の一般向けの競技会)を開きました。ジャイメ・レルネルという名の建築家と同僚たちが最優秀賞を獲得しました。このチームの案がとても効果的なことがわかりました。1971年、レルネルは市長になって、もっと住みやすい街を作るための思い切った方策を取り始めました。

Section 2

レルネルはこう宣言しました。「どんな都市にとっても一番大切なのは、そこに住む市民だ。クリティバを市民が必要とするものを第1に考える都市にするために、できることは何でもやらねばならん」 市長は一連の先進的な改革を実施し始めました。まず最初に、街で一番混雑した中心部の通りから車を完全に締め出し、常設歩行者専用ゾーンに変えました。クリティバを歩きやすく、車のない街に変え、市民の生活の質を向上させるのが目標でした。

次に、歩行者専用道路の3つの区画に花と木が植えられ、ベンチが並べられました。コーヒーショップ、花屋さん、新聞の売店が通りに沿って端から端までずっと、お店を開き始めました。結果として、この3つの街区は、楽しくて人気の待ち合わせの場所になりました。

クリティバ市役所のどの部署の職員もみんなこの計画に一緒になって取り組み、夏休み休暇中のわずか72時間で(この計画を)完成させました。しかし、みんながみんな計画を支持したわけではありませんでした。商店主たちが休暇から帰ったときに、腹を立てて、この変更は商売の妨げになると主張しました。これは商店主たちによる抗議につながりました。その当時「フラワー・ストリート」という名前で知られていた通りに車を乗り入れ、以前の(車が通れる)道路に戻そうと決意する商店主も出てきました。しかし、通りにトラックを乗り入れようとしたとき、400人もの子供たちやパパ・ママたちが、そこかしこで楽しそうに絵を描いているのを目の当たりにしました。

Section 3

商店主たちの怒りは長くは続きませんでした。レルネル市長の政策に最初、反対していた人たちは、売り上げが増えていることにすぐに気づきました。商売に悪いどころか、この緑あふれる楽しい場所にますます多くの人がやって来るようになって、フラワー・ストリートのおかげで利益は向上しました。クリティバの他の地域の商店主たちは、自分たちのところでも同じ成功を繰り返したいと熱望して(→自分たちの商店街でも同じ手法で成功を収めたいと切望して)、市長に自分たちの店の前にも「フラワー・ストリート」を作るように陳情し始めました。

元々のフラワー・ストリートは延長されて、ますますたくさんの人を集めました。今では「11月15日通り」と改名され、街のシンボルになり、市民の誇りです。

この成功を引っさげて次に、レルネルは公共輸送の問題に取り組みました。クリティバの主要道路は3本の平行に走る幹線道路でできていました。市長は真ん中を走る1本の道路をバス専用の2車線の道路に変更しました。それから、1台で270人まで乗客を乗せられる、もっと長いバスにするために一つひとつのバスを連結させました。

Section 4

専用のバスレーンは、クリティバがラッシュアワーの交通渋滞を終わらせるのに役立ちました(→専用のバスレーンのおかげで、クリティバはラッシュアワーの交通渋滞を解消できました)。しかし、レルネルと市議会は更なる改良をしたいと思っていました。街を完全に変貌させる都市基本計画(マスタープラン)に着手しました。

まず最初に、簡単に氾濫してしまう川に沿った土地と一緒に、数か所の河川敷を買い上げました。こうした買い上げた場所をすべて公園用地に変えて、街の緑地面積を大幅に増やしました。2011年現在で、クリティバの1人当たりの公園面積は、ノルウェーのオスロを唯一の例外として(→ノルウェーのオスロに次いで)、世界の他のどんな主要都市よりも広かったのです。

次に、チーム・レルネルはごみ問題に取り組みました。もっと環境に優しい方法でごみを処理する方法を市民に教えるために、クリティバは環境教育計画を始めました。この計画の人気の部分は、提出した再利用できるものが何であっても引き換えに、市民は野菜を受け取れるということに関係していました(→市民は再利用できるものなら何でも持ち込んで良くて、引き換えに野菜を受け取れることが、この計画の人気の要因でした)。

レルネルが市長を辞めた後、彼の都市計画政策は後継者たちによって続けられました。1990年代には、クリティバの都市計画と環境管理への適切な取り組みが認められ始めました。クリティバは国連環境計画(UNEP)の賞(訳者注:国連環境賞を1990年に受賞)を含めていくつかの環境賞を与えられてきています。今では、環境に関する限り、クリティバは世界で一番革新的な街の1つだと考えられています。