わやくの部屋

POLESTAR 2 -Lesson 4

Hayabusa ―― The Miraculous Return
はやぶさ――奇跡の帰還>
アメリカとロシアが宇宙を探査する競争を牛耳ってきています。しかし、日本もまた重要な貢献を果たしてきています。その良い例が「はやぶさ」小惑星探査機です。

Section 1

2010年6月13日、日本の小惑星探査機はやぶさが地球に帰ってきました。打ち上げ後7年で、たくさんの困難に直面しましたが、結局、無事帰還を果たしました。はやぶさが奇跡の帰還をした後に初めて、宇宙旅行の物語での数多い紆余曲折を知った人がほとんどでした。

 はやぶさ計画の最初の最初から、取り組んでいた科学者たちは難題を予想していました。理由の一つは目標とした小惑星イトカワでした(→にありました)。とても小さくて、とても遠くにあったからです。もう一つの理由ははやぶさの飛行目的(ミッション)が、以前には試みられたことが一度もない任務をたくさん含んでいたことです(→ことにあります)。こうした難しい任務の最たるものは小惑星の表面からサンプル(試料)を集め、地球に持って帰ってくるということでした。成功の見込みはとても低かったので、NASAでさえそうした試みはしていなかったのです

 しかし、プロジェクトリーダーの川口淳一郎は日本は成功できると信じていました。、そして、危険でお金もかかるけれども、はやぶさ計画に資金を出すように政府を強く説得しました。もし人間が自分の目で見て出来そうなことだけをやっていたら、進歩は得られないと主張したのです。まだ一度もなされていないことをやってみることで、日本は宇宙探査で指導的役割を演じるべきだと、川口は考えていました。

 政府は厳しい経済状況に直面していましたが、1996年にはやぶさ計画を正式に認可しました(→にゴーサインを出しました)。6年後の2003年5月9日、はやぶさは地球から3億キロメートル離れたイトカワまでの歴史上重要な旅に出かけました。

Section 2

太陽系の起源(の解明)に手がかりを与えてくれるかもしれないと科学者たちが考えていましたから、イトカワは重要でした。イトカワを構成する物質は、太陽系が形作られた当時のほぼそのままに変わらず残っていたのです。 ① 科学者たちはサンプルを手に入れて、太陽と惑星がどのようにして誕生したのかを説明するのに役立つかどうか知りたかったのです。

 2005年11月までには、はやぶさはイトカワに到着していました。 ② 次の段階はイトカワに金属の弾丸を発射して、立ち上がる砂ぼこりを少しつかみとるすることでした。しかし、問題が発生し、はやぶさがイトカワに接近したときに、地面に偶然、当ってしまい、それから何回かバウンドしたのです。サンプルを集める最初の試みは失敗しました。川口は2回目の試みの危険性を比較考慮しました。はやぶさが深刻なダメージを受けると、地球へ帰還できなくなることを知っていたからです。

 数日この問題をじっくり考えた上で、川口はもう1度やってみることにしました。2回目の試みでは、はやぶさは弾丸をうまく発射できたように思えました。いくつかの微粒子が集められたと考えられました。興奮の波が制御室を駆け巡りました。はやぶさ成功の知らせはすぐにネットで報告されていました。

Section 3

興奮と喜びは長くは続きませんでした。はやぶさから送り返されたデータを分析すると、プロジェクトチームはサンプル採取装置が正しく機能しなかったのではないかと考え始めました。宇宙船がイトカワから計画通りにサンプルを集めるのに失敗した可能性が高かったのです。そうだとしても、川口は希望を完全に失ったわけではありません。はやぶさがイトカワの表面でバウンドしたときに微粒子がサンプル採取装置の中に入った可能性がまだありました。

 2005年12月9日に宇宙船との交信が途絶えたときに、チームは新しい障害に直面しました。探査機との交信を修復するためにあらゆることをやってみました。しかし、はやぶさが3億キロ離れた宇宙で行方不明になったように思えました。はやぶさを見つける可能性が低くなるように思えるにつれて、絶望感が高まりました。

 チームの士気を高めるために、川口は職員を自分の周りに集めて、はやぶさを地球に戻すという目標をみんなに思い出させました。それからすぐに、奇跡のように思えることが起こりました。はやぶさとの交信が途絶えて46日後の、2006年1月23日、チームは探査機からのかすかな信号を探知しました。交信が回復したのです!

Section 4

翌月、はやぶさが地球への帰還の旅の途中だということが確認できました。しかし、その時、エンジンに問題が発生しました。探査機は推進力のほとんどを失ったのです。川口はエンジンを修理するために飛行計画を遅らせるかどうかを決めなければいけませんでした。修理するとなると、宇宙船が地球に再度、接近する前にあと3年宇宙空間にいることを意味しました。しかし、はやぶさはそんなに長くはもたないかもしれませんでした。結局、少ないながらも残っている推進力を使って遅れを出さないことに決めました。正しい判断だったとわかりました。

 2010年6月13日、はやぶさはついに帰ってきました。探査機自体は大気圏で燃え尽きましたが、積み荷(カプセル)はオーストラリアのウーメラ砂漠に着陸しました。イトカワからの1,500粒もの微粒子を含んでいることが後にわかりました。飛行目的は成し遂げられました。そして目を見張る成功の知らせは世界中にすぐに広がりました。

 はやぶさの成功が人気を博したことがきっかけになり、国の困難な経済状況にもかかわらず、日本政府は更なる宇宙探査に資金を出すことになりました。結果として、新しい計画――はやぶさ2――が現在進行中です。新しい探査機が事業が終わるまでに何を発見しているのかは、誰にもわかりません。