わやくの部屋

ELEMENT 3 -Lesson 6

Painting for His Life
命のために描く

Section 1

アドルフ・ヒトラーの代理人ヘルマン・ゲーリングは、自分から奪われた喜びのことを知ったとき、人間性に反する罪のために処刑されるのを待っていました(→人道主義に反する罪で死刑に処せられるのを待っているときに、喜びが奪われたことを知りました)。その瞬間、1人の立会人によると、ゲーリングは、「世界に邪悪が存在することを、まるで初めて知ったかのような」様子でした。

Section 2

この悪事は、オランダ人画家であり絵画収集家のハン・ファン・メーヘレンによって行われました。第2次世界大戦中、ゲーリングは、現在の価値が全部で約1,000万ドルあると思われる137点の絵画をファン・メーヘレンに渡しました。ゲーリングがお返しに手に入れたものは、ヨハネス・フェルメール作の『キリストと悔恨の女』でした。上司ヒトラーと同じように、ゲーリングは熱烈な絵画収集家で、ヨーロッパの多くから、たくさんの絵画作品を既に盗んでいました。しかし、ゲーリングはフェルメールの絶大なるファンでしたから、このフェルメールの絵は、ゲーリングが一番誇りに思っていた貴重なものでした。

Section 3

第2次世界大戦が終わってから、連合軍はこの絵画を見つけ、ゲーリングが誰から手に入れていたのか知りました。ファン・メーヘレンは逮捕され、この偉大なオランダの傑作をナチ党員に売り渡した罪で告訴されました。これは背信行為であり、死刑に値するものでした。

Section 4

6週間の獄中生活の後に、ファン・メーヘレンは告白しました――しかし、違う罪に対するものでした。ファン・メーヘレンはゲーリングに偽物を売った、と言ったのです。それはフェルメール(の作品)ではありませんでした。自分で描いたものだったのです。ファン・メーヘレンは、オランダで一番有名な絵画の1つ『エマオの食事』を含むフェルメールによるものと思われる他の作品も(数点)描いたと言いました。

Section 5

最初は、誰もファン・メーヘレンの言うことを信じませんでした。自分の事件を証明するために、ファン・メーヘレンは、もう一つ他の「フェルメール」を作成するように言われました。6週間にわたって、ファン・メーヘレンは、記者や写真家に囲まれながら、(唯一仕事を続けられる方法だった)アルコールとモルヒネでハイになりながら、作品に取り組みました。オランダの新聞1紙が書いているように、「彼は自分の命のために描いた」のでした。結果は、『寺院で説教する若きキリスト』と題されたフェルメール風創作、すなわち、ファン・メーヘレンがゲーリングに売った作品よりも明らかに優れている絵画でした。ファン・メーヘレンは、詐欺によって金銭を手に入れるという軽微な犯罪で有罪となり、禁固1年の刑を宣告されました。刑に服す前に死んでしまいましたが、ナチスをだました男として国民のヒーローだと考えられました。

Section 6

可愛そうなゲーリングについて、そして、手にした絵画は偽物だったと告げられたとき、ゲーリングがどのように感じたに違いないのかを考えてみましょう。ゲーリングは多くの点でたぐいまれなる人物でした――ほとんど滑稽なくらい自己中で、他人の苦しみに残酷なほど無関心でした。ゲーリングはインタビューをした一人によって、優しい狂人と形容されました。しかし、ゲーリングのショックには奇妙なものはまったくありませんでした。(君だったとしても、)同じように感じたことでしょう。ショックの1部はだまされたという屈辱です。しかし、たとえ裏切りがまったくなく、無邪気な間違いがあっただけだとしても、それでもやはり、この発見はいくぶんかの喜びをはぎ取ることでしょう(→だまされたとわかれば、ある程度、喜びは吹っ飛んでしまうことでしょう)。フェルメール(の作品)だと思われる絵を買うとき、その絵が与えてくれる喜びの1部は、誰がその絵を描いたのかに関する信念に基づいています。もしこの信念が間違っているとわかれば、その喜びは消えてしまうでしょう。(逆に――こうした場合は(実際に)起きていますが――もし複製とか偽物だと思っていた絵が、実際は、本物だとわかったら、もっと大きな喜びを与えてくれて、価値も上がることでしょう)

Section 7

それは美術だけに限りません。あらゆる種類の日用品から受け取る喜びは、そのものの歴史についての私たちの信念に関係しています。次の品物について考えてみましょう

■ ジョン・F・ケネディ(大統領)が所有していた巻き尺(48,875ドルでオークションで落札)
■ 2008年、ジョージ・W・ブッシュ(元大統領)がイラク人ジャーナリストに投げつけられた靴(報道によると、サウジアラビアの大富豪が1,000万ドルで買いたいと申し出たそうです)
■ もう1つの投げられたもの――マーク・マグワイアが打った第70号ホームランボール(有名な野球のボールの世界屈指の素晴らしいコレクションを持っているカナダ人起業家トッド・マクファーレンが300万ドルで購入)
■ 月に最初に降り立った人ニール・アームストロングのサイン
■ ダイアナ妃のウエディングドレスの見本
■ 君のお子さんの最初の靴
■ 君の結婚指輪
■ 子供のテディベア

Section 8

こうしたものはすべて実用性以上の価値を持っています。誰もがみんな収集家であるわけではありませんが、しかし、私の知っている人は誰でも、その物が持っている歴史によって、すなわち、崇拝する人や重大な出来事に関係があるか、あるいは、個人的に大切な誰かにつながってるからといった理由によって、特別なものを少なくとも1つは持っています。こうした歴史は目には見えませんし、気づいたり、明らかにするのが難しいものです。しかも、たいていの場合には、特別なものと、同じように見える(普通の、特別ではない)ものを区別できる試金石などはどこにもありません。それでも、そうした特別なものは喜びを与えてくれますし、複製は感動を与えません。それが、この種類の神秘が持っている興奮なのです。