わやくの部屋

ELEMENT 2 -Lesson 8

Selective Breeding
品種改良

Section 1

何世紀もの間、犬と人間は一緒に暮らしてきています。人間は、犬が与えてくれる親密な触れ合いと忠誠心を楽しく味わってきています。犬は、人間が与えてあげる世話と保護を享受してきています。しかし、犬は親密な触れ合い以上のもののために使われてきています(→犬は単に親密な触れ合いのためだけではなく、それ以外のためにも利用されてきています)。例えば、犬を生まれながらのハンターにしている犬の能力を人間は使ってきています(→生まれながらのハンターとしての犬の能力を人間は利用してきています)。薄暗い場所ではっきりと(モノを)見る能力は、獲物を見つけるのに役立ちます。優れた嗅覚は、狩りにはいい道具です(→狩りの時には大いに役立ちます)。狩りの時以外でも、犬の強さと忍耐強さは人間に役に立ちます。大型犬は、主に農場で、材木のような重い荷物を運ぶために、労働犬としてよく使われます。さらに、目の見えない人が盲導犬として、(普通の犬種よりも)知能が高く、早く成長する犬種を使うのはよくあることです。犬が与えてくれる多くの役に立つ働きのおかげで、犬は人間社会にとって計り知れないほど貴重な存在なっています。

Section 2

犬はたくさんの役に立つ特徴を持っていますが、人間は犬の生まれながらの能力を向上させるために長い間、犬を品種改良してきています。狩猟犬は品種改良の1例です。何組かのペアーの犬が、鼻の長さと鼻の穴の大きさに基づいて、カップルになるために選ばれます。その交配ペアーの間に出来た赤ちゃんたちは、有能なハンターになるためには、まだ訓練が必要です。しかし、この子犬たちは狩猟犬や探知犬になる優位性を持っていることでしょう。また、品種改良は、犬の特定の気質、大きさ、体形、魅力を向上させるために行われます。例えば、もし品種改良がなければ、以前のタイプのブルドッグは、今日のブルドッグほど優しい性格になってはいなかったことでしょうし、ほとんどのプードルは1色だけの毛にはなっていないことでしょう。徐々に、犬の品種改良は人間にとって都合の良いものになってきています。今日、知られている犬種のうちの多くが、こうした過程を経て作出されています。

Section 3

しかし、品種改良にはよくない影響もあります。人々は、番犬や闘犬として役立つ、もっと大きく、もっと強く、もっと野性的な犬種を作りだすために品種改良を使ってきています。例えば、ピットブルは闘技場で雄牛を組み伏せるために、強く、素早く動く能力のために作出されました。牛攻めの風習はほとんどの国で禁止されていますが、この犬種は多くの場合(家族の)ペットとして今日でも生き延びています(→飼われています)。このタイプの犬(=闘犬ちゃんたち)は、入念に品種改良されてきているから人間には危険だと、多くの人が信じています。予防策として、こうした犬種は制限されるか、禁止されるべきだと、多くの人が信じています。遺伝的特徴が生まれつき攻撃的だとか、潜在的に危険だとかその動物を決定している(→遺伝的特徴によって、その動物が生まれつき攻撃的であったり、潜在的に危険であったりする特質が決定されている)と、特定の犬種を禁止することに賛成する人たちは、強く主張しています。<

Section 4

攻撃性はある特定の犬種の本性の一部だと主張する人もいます。しかし、犬は本来攻撃的ではなく、攻撃性を教え込んでいるのは他ならない人間だと信じている人もいます。若いとかお金持ちだとかというイメージを表出するために車や衣服を選ぶ人がいるのとちょうど同じように、犬は地位の象徴として使われることもあるのかもしれません。例えば、強くて潜在的に危険だ(→危険な一面を内に秘めている)と思われたい人は、ある特定の種類の犬が強くて攻撃的だと受け止められているから、(その犬種に)興味を抱くことがあるかもしれません。望まれるイメージに合わせるために、時には犬の飼い主はその犬を攻撃的に行動するように訓練することがあるかもしれません。こうした飼い主たちは、良い行動には吠えたり、場合によっては攻撃したりすることを含むと、犬に教えます(→こうした飼い主たちは、吠えたり、場合によっては攻撃したりしてもいいんだと、犬に教えます)。品種改良を禁止することに反対する人は、禁止されなければいけないのは品種改良ではないと信じています。何と言っても、品種改良に関係なく、悪い飼い主が悪い犬を作り出すものだからです。品種改良禁止に反対する多くの活動家たちは、飼い主が犬を飼ったり訓練したりする前に免許を取る必要がある(べきだ)と主張します。

Section 5

品種改良禁止論争に関係なく、犬はこれからもずっと長く人間と一緒に暮らしていくことでしょうと言っても言い過ぎではありません。犬はたくさんの点で人間の役に立ちます。犬は、楽しみの源であり、望まれるイメージを実現してくれるものであるのと同じように、友達であり、狩りの時の道具にもなるし、役に立つものでもあります。貢献を越えて、この動物への人間の熱愛と愛が、「人類の最良の友」として人間社会における犬の現在の地位と今後も続く地位を保証します(→犬が役に立っているという点以外にも、人間が犬を敬愛しているという点があるからこそ、人間の社会で犬は、今もこれからもずっと「人類の最良の友」としての立場を不動のものにするのです)。