わやくの部屋

ELEMENT 2 -Lesson 1

Beyond Words
言葉の向こうへ

Section 1

友達を待っている女性がコーヒーショップにいます。新しそうな服を着ています。そのときです、ウエイターがコーヒーを持ってやって来ます。どうしたことか何かにつまずいて、コーヒーを女性の体中にこぼしてしまいます。今や、服はまるで汚い水たまりで牛と闘ったばかりのように見えます。服をじっと見て、それからウエイターの方を向いて、にらみつけ、大きな声でこう言います。「どーも、ありがとー!」

Section 2

この女性は、服を汚されたことをウエイターに本当に感謝したいんだと思いますか? (それとも)友達に会わないで家に帰る口実を探していたのでしょうか? 当然、答えは「とんでもない。女の人はものすごく怒ってたに違いないよ」でしょう。「サンキュー」という言葉を吐き捨てたときに、ウエイターをにらみつけていたのですから、「とんでもない」と言えるでしょう。言い換えると、女性の真意が何だったのかを理解するのに役立ったのは、女性がウエイターを見た見方と、話しかけた話し方の2つに他ならないのです。

Section 3

言葉が思っていることを伝えない場合がよくありますし、言葉が本当のことを伝えない場合さえあります。人の思っていることを理解するために、言葉を聞くだけではなく、体や、顔の表情や、声の調子のような他のことにも注意を払わなければいけません

Section 4

アメリカの文化人類学者レイ・バードウィステルによれば、言葉では発言の社会的意味のうち35%しか伝えられません。残りの65%は、声の調子、速さ、大きさに加えて(→調子、速さ、大きさといった声の情報に加えて)、顔の表情、アイコンタクト、体に触れること、その人との距離のような体の動き(の情報)によって伝えられます。こうした要素は「非音声的言語」と呼ばれます。

Section 5

非音声的言語は1つの面では自然ですから、私たちにはコントロールできないことが多くあります。例えば、とても怒ったり、とても心配していると、(顔が)赤くなったり、青ざめたりします。泣いたり、笑ったり、震えたり、周囲にあるものをじっと見つめたりすることもあります。こうした行動は感情を表していますが、感情は意図しないで起こるのが普通です。

Section 6

一方、非音声的言語の他の1つの側面はどんな言葉とも同じように学習できます。学習は、普通、生まれた時から始まります。子供は、周りにいる人たちを観察したり、大人に教えられたりして、社会的なメッセージの表現方法を学習します。成長の初期の段階から、子供は、社会の中でうまくやっていくためには、体をどのように動かせばよいのかを学びます。アメリカの子供たちはニコニコしていると(周りの)人が幸せになれるということを素早く学習します。日本の子供たちは、ほとんど話し始めるかどうかのときに、おじぎの仕方を学びます。

Section 7

言葉と同じように、どの文化も、「お友達になろうよ」とか「ごめんね」とか「ありがとう」のような(→といった内容を表わす)非音声的な社会的メッセージを表現する独自の方法を持っています。たとえば、ベトナムには、従順さを表わす方法の1つに、立ち上がって、両腕を組みながら話している人をじっと見るというものがあります。一方、日本では、(従順さを表現するときには)頭を下げ、下を見て、両手を体の前に置いておくものです。

Section 8

非音声的言語の大切さを理解することは、外国語を学ぶことがより重要ではないこと(→今までほど大切ではないこと)を意味するものではありません。逆に、もし非音声的言語の重要性と意義を理解すれば、そうした非音声的なメッセージを今よりうまく理解し、対処できるようになるでしょう。また、私たちが異なった文化を持つ人たちと交流するときに、私たちが発するメッセージを(本当の意味で)理解できるかもしれません。