わやくの部屋

ELEMENT 2 -Lesson 4

Life in a Jar
瓶の中のいのち

Section 1

イレーナ・センドラーは多くの人にとっては、よく知らない名前かもしれません。しかし、イレーナはナチスに抵抗し、第2次世界大戦中に約2,500人のユダヤ人の子供の命を救った英雄でした。

1942年までに、ドイツ軍は約50万人のユダヤ人をゲットーに収容していました。ゲットーとはワルシャワにあった約1㎢の(ユダヤ人強制居住)地域です。イレーナはワルシャワのポーランド人ソーシャルワーカーでした。看護師の制服を着て、イレーナと同僚たちは、ゲットーにいる人たちを助けるために食べ物、衣服、医薬品を持ってゲットーに入って行きました。しかし、ゲットーにいるユダヤ人たちのうちの多くの最終目的地は、死の収容所だということがすぐに明らかになりました。イレーナのグループはできるだけたくさんの子供たちを救おうと決心しました。

Section 2

イレーナたちは、親たちに子供たちを手放すように言うのは、とてもいやな仕事だということがわかりました。晩年に(なっても)、イレーナは、我が子と引き離されなければいけないユダヤ人のお母さんたちの悲しい顔を覚えていました。「悲惨な場面を目撃しました。時にはお父さんが同意しているのに、お母さんが賛成していない場合もありました。こうした不運な家族は、親たちから子供を取り上げたりしないで、そのままにしておかなければいけませんでした。次の日、その場所に戻ってみると、みんな死の収容所に連れて行かれてしまっていたことがわかることもたびたびあったものでした」

運のいい子供たちは、ジャガイモ袋や棺桶に入れて連れ出されました。モノに埋もれ(て連れ出)された子供もいました。親たちから引き離され、新しい名前を与えられ、こうした子供たちは、手助けして自分たちの命を危険にさらすことをいとわない家族や宗教団体に引き取られました。年上の子供たちはキリスト教のお祈りを教えられました。ユダヤ人の伝統を気づかれないようにするためでした。

子供たちの家族の記録を失いたくなくて、イレーナは救った子供たち全員の名前を書いたリストを作って、保管していました。イレーナは子供たちをいつか家族に再会させてあげられることを望んでいました。

Section 3

1943年のある夜、イレーナの家はドイツの警察(ゲシュタポ)によって攻撃されました。イレーナは名簿を窓から投げ捨てたいと思ったのですが、出来ませんでした。家全体がドイツ人によって取り囲まれていました。そんなわけで、イレーナはリストを同僚に向かって投げ渡して、ドアを開けました。11人の兵士がいて、家全体をほとんどバラバラに壊しました。名簿は、同僚が自分の下着の中に隠したおかげで、救われました。

ナチスはイレーナを刑務所に連れて行き、拷問しました。ひどいけがを負いましたが、イレーナは、協力者と救った子供たちのことを話すのを拒否しました。ついに、イレーナは死刑の判決を受けました。

危ないところで、同僚が守衛にわいろを渡して、イレーナはなんとか脱出でき、友達に会えました。名簿を再び手にして、友達の家の庭にあるリンゴの木の下に、ビンに詰めて名簿を埋めました。

Section 4

名簿には約2,500人の名前が載っていて、大戦が終わった後、イレーナは子供たちを家族に再会させようとしました。しかし、親たちのうちのほとんどが、死の収容所で毒ガスによって殺されていました。

イレーナの人生と活動は長い間、知られていませんでした。しかし、カンザス州のアメリカ人女子生徒たちのグループがイレーナの真相についてたまたま知り、2000年に『瓶の中のいのち』と呼ばれる劇に仕立てました。この演劇は合衆国と他の多くの国でも(合わせて)200回以上演じられました。

2003年、イレーナはノーベル平和賞の候補になりました。結局は、アル・ゴア氏が受賞しました。2005年、イレーナはこう語りました。「私たちは英雄なんかじゃないんです。英雄という言葉は私をとてもイライラさせます。その反対が真実です。ほとんど何もやっていなかったことを後悔し続けています。(やろうと思えば)もっとできたんです。この後悔は、私が死ぬまでつきまとうことでしょう」