わやくの部屋

CROWN 2 -Lesson 9

The Long Voyage Home
地球への長い旅


I’m a great believer in luck, and I find the harder I work, the more I have of it. ―― Thomas Jefferson
私は幸運を強く信ずるものである。一生懸命に働けば働くほど、より多くの幸運が手に入ることを知っている。――トーマス・ジェファーソン


2003年、日本の科学者たちは、3億㎞離れた小っちゃな小惑星イトカワから土のサンプルを持ち帰る宇宙飛行計画にはやぶさを送り出しました。これはほぼ不可能な飛行計画でした。

Section 1

はやぶさプロジェクトはとても野心的でした。JAXAはこの計画にとても難しい目標を設定しました。イオンエンジンを開発すること、自律航行システムを開発すること、イトカワから土のサンプルを集めること、そのサンプルを(地球に)持ち帰ること(の4つ)です。イトカワのような小惑星は太陽系の始まりから(ずっと)存在し続けているので、土壌サンプルは太陽系の起源のなぞを解き明かすのに役立つでしょう。(もしこの4つの目標が達成されれば)これは宇宙探査の歴史で前例のないものになることでしょう。

宇宙探査のためのイオンエンジンを開発することは、一番大切な目標の1つでした。ほとんどのロケットエンジンは気体や液体(燃料)を使います。イオンエンジンは電界を使います。その推進力はとても小さく、1円玉を持ち上げるのがやっとです。しかし、重力も空気抵抗もないため、宇宙ではたとえ少ない量のエネルギーであっても強力になりうるのです。

Section 2

自律航行システムの開発がもう1つの目標でした。無線信号が地球とイトカワの間の3億㎞を伝わるのに16分かかります。非常事態には、はやぶさは指令を待っているわけにはいきません。はやぶさが自分自身で状況を判断し、何をすればいいのかを決めなければいけませんでした。

他の2つの目標はさらに難しいものでした。イトカワは535mの長さしかない、小さなピーナッツ形の小惑星です。秒速34キロメートルの速さで飛行しながら、はやぶさは宇宙の「チリ」ほどの小さなかけらに到達しようとしていたのです。これは日本からブラジルにある1㎜の的に命中させるようなものでした。科学者の1人は「もしはやぶさがこの(4つの)目標を達成すれば、他のどんな宇宙船も今までやったことがないような偉業を達成することになるだろう」と述べました。

イトカワに到達することは難しいものでしたが、短時間だけ着陸し、土のサンプルを集めることはほとんど不可能でした。着陸する第1回目の試みで、はやぶさは損傷を受けました。1週間後、再度挑戦しました。今度は着陸し、サンプルを集めることができました。

はやぶさは(地球への)帰還の途につきました。しかし、ほとんど間もなく、燃料が漏れ始め、電池は底をつき始めました。チームは何とかこうした問題を解決できましたが、数日後、事態はずっと悪くなりました。はやぶさとのすべての交信が途絶えてしまったのです。

Section 3

来る日も来る日も(=明けても暮れても)、チームはメッセージを送り続けました。「はやぶさ、応答を待っている。応答願います!」しかし、これほど長い交信途絶の後で、交信を再開できた宇宙船は、今までの歴史でひとつもありませんでした。

はやぶさは43日間も宇宙で行方不明になっていました。ついに、はやぶさは応答しましたが、地球再突入の一瞬の好機はすでに過ぎていました。はやぶさはあと3年間は宇宙にとどまっていなければいけませんでした。その後、新たな問題が持ち上がりました。4基のエンジンすべてがとまったのです。はやぶさが地球に戻ってくるのはほとんど不可能でした。しかし、何とかしてイオンエンジンを修理することによって、チームははやぶさを復活させることに成功しました。

2010年6月、はやぶさはひどく損傷していましたが、ついに地球に接近していました。はやぶさは首尾よくカプセルを切り離しました。そして、流れ星のようにすぐに燃え尽きることになっていました。はやぶさは約3,000℃にもなる再突入時の熱に耐えるように作られてはいませんでした。はやぶさプロジェクトリーダーの川口淳一郎さんは最後に1つ指令を送りました。「地球の写真を撮ること」 プロジェクトのメンバー全員が、燃え尽きる直前に、はやぶさには地球がどのように見えているのかを見たいと思いました。はやぶさは何回か写真を撮ろうとしましたが失敗しました。ついに最後の最後の瞬間になって、この写真(訳者注:このページ右上のモノクロ写真です)を撮りました。はやぶさの最後のお別れの言葉でした。

Section 4

土のサンプルの入ったカプセルは、2010年6月13日オーストラリアの砂漠に無事落下しました。

川口さんは次のように言います。「はやぶさプロジェクトは野心的すぎるとか、危険すぎるとか、多くの人が言いました。その通りだということは(当時よく)わかっていましたし、このプロジェクトが成功したのは多くの幸運の結果だ(→たくさんの幸運が重なったおかげで、はやぶさプロジェクトは成功した)ということも(今は)認めなければいけません。しかし、高い目標を設定し、危険を冒す準備が、私たちにはいつもできているのです。もし遠くまで見通したいと思えば、高い塔を建てなければいけません」

「もし必要な支援を受けられれば、はやぶさよりも20倍も30倍も遠いところまで行ける新たな宇宙船にすぐに着手する予定です」

15世紀と16世紀には、マゼランのような人々は金と香辛料を求めて東洋への航海に乗り出しました。新しい知識と資源を求めて宇宙への「大探査時代」に突入しようとしていると、今、川口さんは信じています。

川口さんは次のように最後に述べています。「私たちはこの新しい時代のリーダーになりたいのです。高い目標を設定することは、大きな困難に直面することを意味します。強くなければいけませんし、いいチームワークを築かなければいけません。困難や失敗で落ち込んでいてはいけません。はやぶさが(最後に)撮った地球の写真を見ると、はやぶさの声が聞こえてくるようです。『あきらめるな! 希望と自信を持って未来に向かうんだ!』」