わやくの部屋

CROWN 2 -Lesson 10

Grandfather’s Letters
おじいさんの手紙

Letters are among the most significant memorials a person can leave behind.
―― Johann Wolfgang von Goethe
手紙は人が残せる一番大切な記念の品の一つである。
――ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ


ある日、チャールズ・グラマルディが亡き母マーガレットの遺品に目を通していると、「カカ」とサインのしてある絵がかいてある手紙や葉書の入った古いアルバムを見つけました。こうした手紙は誰からのものだったのでしょうか?

Section 1

チャールズ・グラマルディは、おじのことをテディと呼んでいました。おじもカカからの手紙を持っていました。カカはひいおじいさんの愛称だと、グラマルディは知りました。いとこもカカからの手紙を持っていました。すぐに、850通を超える手紙と葉書を手にし、世界最大のイラスト入りの文通のコレクションになりました。グラマルディは、このコレクションを出版することにしました。イギリスのアン王女がこの本『郵便の中の絵』の序文を書きました。利益の一部は国際慈善団体のセーブ・ザ・チルドレンを支援しています(→の活動のために使われています)。

さらにあと8人の人がグラマルディに連絡をしてきて、自分たちもカカからの手紙を持っていると言いました。全部で1,200通のイラスト入りの手紙と葉書が発見されました。

ここにカカと、カカの生きた時代――戦争の時代であり、船旅の時代でした――と、イギリスと植民地インドを隔てた家族の暮らしのお話があります。

Section 2

カカはヘンリー・ソーンヒルでした。1854年に生まれ、大英帝国インド植民地軍の評判の陸軍将校でした。子供が3人いました――カッドバート、チャーリー、マージです――3人ともインドで育ちました。マージは海軍将校と結婚して、1912年に最初の男の子テディをもうけました。「じいちゃん」と言おうとした赤ん坊のテディの試みは、結果的に「カカ」というヘンリー・ソーンヒルの愛称に終わりました(→赤ん坊だったテディは「おじいちゃん」と言おうとして、「カカ」としか言えなくて、これがヘンリー・ソーンヒルの愛称になったのでした)。

カカは自然を愛し、インドの鳥と動物のことをとてもよく知っていて、この知識を孫たちと共有したいと思っていました。1914年、当時1歳6か月だったテディにイラスト入りの葉書を送り始めました。かなりの数の動物をかいた絵があります。主に野ウサギのMr.ヘアと、ハッチと呼ばれる象さんの絵です。この2人がテディと一緒に冒険をするのです。

1914年、第1次世界大戦が勃発するわずか数週間前に、ソーンヒル一家全員はイギリスに帰国しました。イギリスでは、第1次世界大戦がカカとテディをすぐに引き離しました(→第1次世界大戦のせいで、カカとテディはすぐに離れ離れになりました)。テディのパパは海軍で働くために(海外に?)送られ、一方、カカはロンドンに残ったからです。カカは、動物やスポーツや発明品の絵が主に描かれた葉書をテディに送り続けました。

Section 3

1918年に戦争が終わると、テディはパパと一緒にインドに帰りました。一方、カカはイギリスにとどまりました。当時、人々は長い距離を船で旅しました。そして、家族が教育や仕事のために離れ離れに住むこともありました。家族は、たとえ長い距離に隔てられていても(→たとえ遠く離れていても)、結びついていたいと思いました。家族は手紙を書きました。郵便が船で目的地に届くのに何週間もかかるのが常でしたけれども。

この時期からカカの手紙は、テディと同じように孫娘のマーガレットとエリザベスあてにも書かれました。孫たちが5歳になると、カカはメッセージに比較的長い文を含ませ始めました。孫たちが読み方を覚えるのに役立つようにと、大文字を使いました。カカはインドの珍しい動物についてだけではなく、発明品や科学技術についても手紙に書きました。電話、ラジオ、動力飛行機は1920年代の先端技術でした。

テディは、10歳のとき、寄宿学校に通うために、インドからイギリスへ行かされたことを覚えていました。テディは引き続き大学に行き、それから植民地軍に入り、海外に配属されました。カカは孫たちに会う機会がほとんどなくなりました。そのため、ヨーロッパとインドをまたがって離れた場所に住む家族に手紙を書き続けました。

Section 4

テディとカカの最後の再会は1938年、スイスでのことでした(→テディとカカは1938年、スイスで最後に会いました)。テディが26歳のときでした。この再会の後、テディはカカへの手紙の中で、カカはそれまでの人生で一番の親友だと書きました。カカが人生を通じてずっと示してくれた愛と思いやりに対する感謝を、テディは言い表したのです。第2次世界大戦が1939年に始まると、カカとテディのこれ以上の交流は不可能になりました。カカは1942年、88歳でこの世を去りました。

カカが手紙を書き始めてから約100年が過ぎていますが、カカの手紙は世界中の若い人もお年寄りも(→老いも若きも)両方の読む人をひきつけてやみません。どこにいようとも、そしてどんな時代に生きていようとも、連絡を取ろうと気を付けていることを示す特別な努力が大切なんだということを、カカのイラスト入りの手紙は思い出させてくれます。eメールや携帯メールやSNSを通じて、友達や家族と即座に連絡がつく時代では、連絡を取るというのは何か当然だと思えることです。カカは科学技術のとりこでしたから、(今、生きていればきっと、)海を越えて家族と連絡を取る方法としてネットを使って楽しんだことでしょう。しかし、一体何通の電子メールが、後の世代に受け継がれ得る「宝物」として残るでしょうか? 手書きの手紙は、書いて送るのにかかる時間と気配りから生じる特別な長続きする魔法を持っています。カカの家族への愛は、孫たちに送ったイラスト入りの手紙を通して生き続けています。