わやくの部屋

CROWN 2 -Lesson 6

Ashura
A Statue with Three Faces
阿修羅――3つの顔をもつ仏像――

Eyes without speaking confess the secrets of the heart. ―― St. Jerome
語らぬ目は心の秘密を打ち明ける――聖ジェローム


2009年、仏像の展覧会が東京で、その後、九州で開かれました。165万人以上の来場者を迎え、大成功でした。一番人気の呼び物は、3つの顔を持つ仏像の阿修羅でした。

Section 1

奈良公園では興福寺の五重の塔を見ることができます。興福寺の境内には興福寺国宝館があり、日本で一番有名な仏像の一つの阿修羅に出会うことができます。

710年に奈良が都になったとき、藤原氏によって興福寺は建立されました。奈良の「四大寺」のうちの一つでした(→です)。

734年、光明皇后がお母様(の一周忌)を記念してお堂(=西金堂)を建て、28体の像を安置しました。その中に仏陀の守護神の八部衆がいます。阿修羅はかつては残虐な戦士で、絶えず帝釈天と争っていたという話があります。後に、阿修羅は目覚めて、真理を悟り、後悔し、守護神の一人になりました。最も早い時代から、民衆は癒しと浄化を求め八部衆に祈りを捧げてきています。

Section 2

何世紀もの間、興福寺の建物と仏像のうちの多くは火災、戦争、自然災害によって破壊されてきました。しかし、阿修羅と他の八部衆は、今日まで現存しています。失われずにきた理由の一つは、軽くて、緊急事態の時に楽に持ち運べたからです。例えば、阿修羅は153cmの高さで、わずか15㎏の重さしかありません。

どのようにしてそんなに軽い仏像を作るのでしょうか? 第1に、木のフレーム(心木)を作り、それから、そのフレームの周りに粘土をくっつけ(塑土を盛りつけ)ます。次に、この粘土のカタマリをウルシに浸した布でくるみ、乾かします。この工程(=布でくるみ、乾燥させる工程)を数回繰り返します。次に、粘土と木のフレームの両方を取り除き、軽くて中が空洞の像を残します。最後に、支えとして内部に軽い木の枠を取り付け、ウルシの混ざった木の粉を使って細部を付け加えます。脱活乾漆(乾燥ウルシ)と呼ばれるこの方法は、朝鮮から渡って来た芸術家たち(=仏師たち)によって紹介されました。阿修羅と他の八部衆はこうした渡来仏師によって作られたと考えられています。

Section 3

今、目にする阿修羅像は、元々の色は変わってしまい、顔にはひびが広がってきていますが、1,300年近くもそのまま残ってきています。734年に初めて作られたときに、阿修羅がどのようだったのか(→734年の制作当初の阿修羅がどのように見えていたのか)知りたいと思われるかもしれません。見つけ出すことは可能です。奈良国立博物館を訪れるだけでいいのです。元々の色の阿修羅の複製を見ることができます。

複製は古代ギリシャの影響が多少うかがえる金の装飾品を身につけています。肩からかかる飾り帯は、古代インドを思い起こさせてくれるかもしれません。赤い皮膚の色は、阿修羅が古代ペルシャの太陽神との何らかの関連を持っていたことを示すように思えます。

最初の仏像は1世紀に、古代ギリシャ芸術の影響を受けながら、ガンダーラ、すなわち、今のパキスタンで作られました。続く数世紀で、中国の(いろんな)帝国が中央アジア、中東それに西洋と交易するようになりました。西洋の影響は、中国の人たちに芸術を新しい方法で見る気にさせました(→西洋の影響を受け、中国の人たちは芸術を新しい視点から見るようになりました)。やがて、これが日本の芸術に多大の影響を持つことになりました。

Section 4

阿修羅は他の八部衆とは大いに異なっています。1つ(の理由として)は、3つの顔を持ち、6本の手を持っています。もう1つ(の理由として)は、阿修羅は飾り帯を身につけている一方で、他の八部衆は鎧を身にまとっています。しかし、そんなこと以上に、顔に人間の表情を浮かべ、阿修羅は生きているように見えます。実際に、心の内に何かを抱えているように見えます。しかし、これは(いったい)何なのでしょう?

顔の表情を研究する原島博はこう考えています。阿修羅の3つの顔の目に君を注目させます(→3つの顔に注目すべきだそうです)。左から右へ、そして正面へ(と順に)3つの顔を眺めると、目(の位置)が上がって行くのに気がつくでしょう。この変化は阿修羅が成熟していく様を示している、と原島は言います。左の顔は、修羅を若く怒りに満ちた男性として示しています。右の顔は苦痛と後悔を表します。中央の顔は悔い改めを示しています。

阿修羅の正面に立ってみると、「阿修羅は何を語りかけようとしているのか」と不思議に思うことに気づくかもしれません。1,300年にもわたり、多くの人が同じように不思議に思ってきたのです。

阿修羅の前で民衆は崇拝し、悔い改め、また浄化を求め祈ってきました。優しい友人でもあり先生(→導師)でもあるように、阿修羅はこの過程(→怒りから改悛へと成長していく自身の変化の過程)を経て民衆を導いてきました。そんなにも多くの人が1,300年近くたった後も阿修羅像に惹きつけられ続ける理由の一つは、もしかすると、阿修羅が不確実性の時代にとても必要とされる癒しの感覚を与えてくれるからなのかもしれません。