わやくの部屋

PRO-VISION 2 -Lesson 1

The Freedom to Be Yourself
あなた自身であることの自由

Section 1

私は幼い少女の頃に、私たち家族がほかの家族と違っていることに気がつきました。

私たちはほかの人の「規準」に従っていなかったのです。

母は、クラシックのオーケストラのビオラ奏者でした。

日本ではその当時、女性が自分の職業を持つことは珍しかったため、母は苦労しました。

母はコンサートから遅い時間に帰宅することも多く、妹と私だけで待っていたものでした。

しかしながら、私たち家族はいつも近所の人の心配の種であり、近所の人たちは私たちだけを家に置いておくことで母をよく咎めていました。それでも母は、人生は一度きりだから,大好きな仕事をして満足のいく人生を送るべきだという強い信念を持っていました。

誰かほかの人に頼ることなく、自分の力を信じるべきです。

私は母がその哲学を行動に移すのを見てきました。

私もまた、毎日を一生懸命生きたいと思っていました。

Section 2

中学生の頃、私は学校を居心地悪く感じはじめていました。

私は日本のアイドルの音楽に興味がありませんでしたが、それはクラスでは人気でした。

子どもの頃からずっと外国文学を読むのが大好きでしたが、この熱い思いを分かち合うクラスメイトはひとりもいませんでした。

私のように周囲に順応しない人がいるどこかへ行きたいとひそかに夢見ていました。

画家になりたいという夢も持っていました。

14歳のときに、母は私にヨーロッパへの一人旅を提案しました。

母は私の心の内が混乱していることを感じ取り、日本の学校に行くより外国での一人旅からより多くを学ぶことができると考えたのです。

母は私に、自分の小さな世界を出て、異なる価値観を持つ別の世界に行くよう鼓舞してくれたのです。

こうして私は1か月間、ドイツとフランスを一人で旅しました。

母の古い友人である音楽家を訪ね、その人たちの家に滞在しました。

Section 3

ヨーロッパでのスリルある体験は、私の人生の転換点でした。

旅の最中のある日、私はある鉄道の駅にいました。

一人の年配の男がしつこく私の後をつけているのに気づきました。

怖くなって、逃げようと列車に跳び乗りましたが、彼はまだ追いかけてきました。

「待って,お嬢さん!」と男性は叫びました。

彼は私を家出人と勘違いして心配していたのでした。

これがイタリア人の友人マルコさんとの最初の出会いでした。

日本に帰った後も手紙のやりとりを続けました。

高校生の頃、私は卒業後に何をすべきか悩んでいました。

マルコさんは一つの提案をしてくれました。

「もしまだ画家になる気があるのなら、私の国、芸術の本場イタリアへ来てみてはどうだろう?この国の文化や歴史にどっぷりつかることができるだろう。君はまだ若いんだ。その貴重な時間を充実させるようにしなさい」

私には難しい決断だったものの、一方、母は行くことを強く勧めてくれました。

「すばらしい機会よ。逃してはだめ」と彼女は言いました。

自分の人生をどうするかは自分次第であると、私は悟りました。

マルコさんは陶芸家で、いつも充実した人生を送っていました。

彼とイタリアで一緒の時間を過ごして、私は彼の自由な生き方に感銘を受けました。

Section 4

母やマルコさんのように、私の人生には常に自分の本当の気持ちをよく知っていて、自分のしたいように生きる人びとがいました。

私がイタリアで勉強していたときには、民族的、そして宗教的な背景も生活様式も考え方も違う人びとに出会いました。

このような多様性のある環境では時として問題も生じます。

しかし、私がイタリアで出会った人たちには一つの共通点がありました。

彼らはみな自分に正直でした。

まさにその理由で、彼らはお互いを尊重し、一緒に協調して暮らしていました。

誰もが違っているということを誰もが受け入れたとき、そこには単一の「規準」もよそ者もありません。

国籍や民族も大事ですが、それらはアイデンティティの小さな一部でしかありません。

日本から出て私が最初に学んだのは、人類という仲間の多様性を受け入れることでした。

この教えは私の一部となっています。

この世にあなたと同じ人はひとりもいません。

あなたが生まれながらに持ったもので、目いっぱい人生を楽しむことができます。

他人にあなたの可能性を制限させてはいけません。

進むことができる道は無限にあり、世界全体があなたの舞台なのです。

そのことに気づきさえすれば、本当の自由を手に入れることでしょう。