わやくの部屋

UNICORN 3 -Lesson 5

Why Study Foreign Languages?
なぜ外国語を勉強するのでしょうか?

Section 1

現代の日本語は、英語から来ているたくさんの単語を含んでいます。このおかげで英語を話す人にとって、日本語が簡単になっているはずです。しかし、こうしたことは必ずしも事実ではありません。ときには、英語の単語は、それとはわからない方法で短くなっていたり、あるいは、奇妙な発音を与えられたりしています。10万人のアメリカ人がいたとしても誰も、例えば、ロスがロサンジェルスを意味するとはわからないでしょうし、100万人のアメリカ人がいたとしても誰一人として、ホームがプラットホームから来ているとは気づかないでしょう。しかし、それにもかかわらず、英語を話す人は、他の日本人ではない人と比べれば、有利な立場に立っています。日本語はわかるけれども、英語はわからないフランス人は、日本語を話そうとしてみても、英語で答えられてしまって、確実に腹立たしく感じるに違いありません。私自身の場合では、もし日本の人が私に向かってどうしても英語を話そうとしつこくすれば、たとえその人の英語が非常に下手だとしても、日本語に切り替えてその人の気分を害するようなことはしないで、どちらかと言えば、私はたいていは、その人に従います。

Section 2

私が日本語を研究し始めて、まもなく40年になります。日本の人口の半数以上の人よりも長い間、日本語を知っています。若い日本人が、箸を使う私の能力(→私が箸をうまく使うの)をほめてくれるときには、「私は君が生まれる前には、箸を使っていたんですよ」と、正直に答えることもできるのです。同じように、日本の若い人が、自分には理解できないとわかっている日本の古典の文章を私が読めると賞賛してくれるときに、その人が平仮名さえ読めないうちに、同じような文章を教えていたんですよと指摘したい気にもなります。こうした状況になる回数は年々増えています。「私たちよりもお上手ですね」と言って、以前、みなさんが私の漢字をほめたものですが、このときには、お世辞でした。しかし、最近、同じほめ言葉をみなさんが使うときには、真実に近いのかもしれません。私の手書き文字は上達してきていますし、日本の若者には習字を習ったことがない人がたくさんいますから。

Section 3

私には日本語が読めるということを日本の方に信じてもらうのは、長い間、ほとんど不可能でした。しかし、徐々に、言葉に関して孤立主義はなくなっています。西洋人への増した親しみが、外国人をジロジロ見る日本の人がもはやいないという結果をもたらしてきているのとちょうど同じように(→欧米人への親近感が増すにつれて、もはや日本の人が外国人をジロジロ見なくなっているのとちょうど同じように)。日本に関するテーマで国際会議が開かれ、国籍に関係なく、発言者全員が日本語を使ったことがあります。こうしたことは、最近まで考えられなかったことでしょうが。日本の方々が外国人の中には実際に日本語を学んでいる人もいるという事実に慣れてくるにつれて、間違いなく、より国際的なものの見方も、普通のことになるでしょう。

Section 4

少なくとも、私に関する限りは、これは喜ばしい成り行きとなるでしょう。もちろん、有名な著者が、ただ単に(相手が)日本語を話すという理由だけでは、もはや外国人に進んで会う気にはならないということを意味しているのでしょうが。若い世代の日本研究家は、確かに私の世代が受けたような種類の親切な行為を受けないでしょう。しかし、若手にとってさえ確かに、珍しいものというよりもむしろ対等な人として扱われる方がいいでしょう。

Section 5

しかし、外国人が日本語を学んでいれば、もはや日本人が英語を学ぶ必要はない、と思う人がいないことを願っています。逆のことが正しいのです。日本の人たちは英語をあたかも死んだ言葉のようにして、長い間、学んできています。今や日本の数世紀にわたる孤立は、海外に住み、外国の文化をよく知っている日本の方々と、日本語を学んできている外国人の両方によって、ついに破られているのですから、次の段階では、日本に資格が与えられた大切な役割を、国際社会の中で引き受けることができる日本の人が大勢、きっと登場するでしょう。世界全体がたった一つの言葉を話す時代は、決して来ないでしょうが、しかし少なくとも、しばらくの間は、英語が国際関係で一番普通に使われる言葉でおそらくあり続けるでしょう。

Section 6

現在、日本は国際的な会合では、ほとんどいつも代表者の数が少なすぎます。たとえ大勢の日本代表団が出席しているとしても、メンバーたちはめったに他の代表団のメンバーたちと意見を交換し合うことができません。効果的に参加できる比較的少数の日本人たちが、数えきれないほど多くの会議に出席しなければいけません。移動が多すぎるといつも感じ、1つの会議に出席するのを断った私の友人の1人は、もしその友人が出席しなければ、日本はまったく代表されなくなる(→日本を代表する者が1人もいなくなる)だろうと告げられて、愛国心の強い日本人として、出席するのが自分の義務だと感じました。もちろん、会議の席上で1人の日本の人が役に立つかどうかを決めるのは、英語を話したり理解したりする才能の問題だけではないのですが、もしその人が通訳者に完全に依存しているならば(→通訳に頼ってばかりだと)、その人が(他の出席者に与える)印象を大切にしていると考えるのには無理があります。

Section 7

人前で、あるいは、公式に、日本人ではない人たちとコミュニケーションをとる手段として英語を使うことの他に、英語の知識、あるいは他の言葉の知識があれば、世界中の人と友達になることができます。友達がみんな自分と同じ国籍の人ばかりの人は、だれであっても、私にはかわいそうに感じられます。私が日本語を話すおかげで、日本で作ることができている友情のことを考えると、日本語の知識がなければ、私の人生が何て貧しいものになっていたことか私にはわかります。

Section 8

しかし、自分の国を決して離れない人にとってさえ、外国語を学ぶことの重要性を強調したいとも思っています。ラテン語や漢文を研究した学者は、このような死んだ言葉のおかげで自分自身の言葉をより上手に使う能力が身につくことで、人生が豊かになりうると信じていました。森鷗外の簡潔で力強い文体は、大部分が、鷗外が漢文を勉強したことのたまものでした。ラテン語の影響は、過去の最良の英文学作品のほとんどに、容易に認められます。外国語の知識のおかげで、表現力と自分自身の言葉に対する感受性が高まります。外国語で本を読む楽しみは、もし翻訳で同じ本を読む場合よりも、たいていの場合、大きいものです。翻訳家よりも原作の作者の方が、ほとんど常に優秀な作家だということだけではなく、外国語の難しさの影響で、より遅いペースで読むときには、一つひとつの言葉をゆっくりと味わいながら、作者が感じたことを伝えるために行っている言葉の選択を、よりよく鑑賞できるからなのです。

Section 9

1955年の夏、日本を離れるとき、もう2度と(日本に)帰って来ることができないかもしれないと考えて、とても落ち込んでいたときに、私は永井荷風の『隅田川』を飛行機で読みました。荷風の日本語の美しさにいたく感動して、涙を流しました。この物語を私が訳した翻訳で読むどのような人も、感動して涙を流したことがあるとは思えません。言うまでもなく、私の英語は荷風の日本語の文体の美しさにかなうはずがありません。しかし、たとえ私の翻訳が実際、今、出版されているものよりも良かったとしても、英語という言葉自体が、消えゆく日本の昔の光景や物音を言い表すために荷風が使った言葉の正統性を持ち合わせてはいないのです。しかし、荷風の日本語は、外国の影響を決して受けていないわけではありませんでした。荷風は漢文とフランス語をとてもよく知っていましたし、どちらの言葉も純粋に日本語の文体だと思えるもの(=荷風の文体)を形成することに役立っていました。実際に、今世紀の著名な日本の作家のほとんどの人は、少なくとも1つの外国語をよく知っていて、その言葉の特質を身につけていました。こうした作家たちが日本語以外の作品の質を知っていたからこそ、日本語が(他の言葉と比べて)この上なく上手に表現できるものをよりよく理解していたのです。

Section 10

原作は最初に書かれた形で正当性を保つものですが、たとえ最良の翻訳であっても、2・30年経過した後では、不適切に思える可能性が高いものです。また、翻訳することを受け付けないように思える作品もたくさんあります。(翻訳を超越している作品には)議論の余地のない傑作も含まれています。古今集の和歌から、泉鏡花の小説に至るまで、翻訳できないような作品を読むことから、いかに多くの喜びを得てきているかを考えると、日本語を学ぶという途方もなく大きな努力は、そうするだけの価値があったと確信できます。とりわけ、私が人生のうちのこんなにも多くの時間を、欧米では以前は、ほとんどまったく知られていなかった言葉と文学の質の高さ(=日本語と日本文学の質の高さ)を発見することに使うのを可能にしてくれた、たくさんの幸せな出来事に感謝しています。