わやくの部屋

UNICORN 3 -Lesson 2

>How We Think about Memory
記憶についての考え方

Section 1

私たちは、記憶がどのように働いていると考えているのでしょうか? この問いに答える前に、すぐに終わる記憶テストをやっていただきたいと思っています。次の単語のリストをザーッと読んでください――ベッド、休憩、目覚めている、疲れている、夢、起きている、眠る、毛布、うたたねする、まどろむ、いびきをかく、お昼寝、平穏、あくび、眠い。後でこの単語には戻ってきます。

私たちは、1,500人の調査(→1,500人を対象にした調査)の中に、人々が記憶がどのように働いていると考えているのかを詳しく調べるために作られたいくつかの質問を含ませました。回答者の半数近く(47%)が、「ひとたび、ある出来事を経験し、その出来事についての記憶が形作られると、その記憶は(ずっと)変わらない」と信じていました。さらに高い割合の人(63%)が「人の記憶はビデオカメラと同じように機能し、見たり聞いたりした出来事を後で思い返したり念入りにチェックできるように、そうした出来事を正確に記録する」と信じていました。この両方の意見に賛成する人は、たとえ記憶が呼び出せなくても、すべての経験の記憶は脳の中に変わらない形で永遠に保存されると、どうやら考えているようです。記憶は原則的にどこかに保管されているとするこの信念を反証することは不可能です。しかし、人の記憶に関するほとんどの専門家は(→人間の記憶の研究家のほとんどは)、脳が生活のどんな細かい点までも保存するのにエネルギーと場所を捧げているということは、ほとんどありえないとわかっています(特に、もしそうした情報が一度も呼び出されない場合には)。

Section 2

さてこれから、さっき読んだリストから単語をすべて思い出そうとしていただきたいと思います。できるだけたくさんの単語を思い出すようベストを尽くしてください。(この先を)読み続ける(→読み進める)前に1枚の紙に単語を書いてください。

どのくらいできたと思いますか? 多分、15個の単語全部を思い出してはいなかったでしょう。平均して、被験者は15個の単語のうちだいたい7・8個しか正確には思い出せない傾向があります。15個の単語はすべてありふれた、なじみ深いものばかりでした。また、リストを読むときには、特段何もストレスは感じていなかったものと希望しています。思い出さないといけないときには、何も時間の重圧は(→制限時間は何も)ありませんでした。1950年代に作られたコンピューターは、15個の単語を完璧に記憶に保存することができました。しかし、とても素晴らしい知的能力にもかかわらず、私たちはほんの数分前に読んだものを正確に覚えることはできないのです。

しかし、どの程度覚えていられるのかに関する(能力の)限界を例証するために、先の記憶テストをみなさんにやっていただいたわけではありません。行動をどのようにして覚えるのかを際立たせることが目的でした。思い出せた単語のリストを見てください。(みなさんが作った)リストは「眠り」という単語を含んでいますか? この文章を読んでいる人の約40%は、「眠り」という単語を見たと思い出していることでしょう。もし君がそうした人のうちの一人であれば、たぶん、覚えていた他の単語のどれについても自信があるのと同じくらい「眠り」という単語を見たという自信があることでしょう。リストの中に「眠り」という単語を見たというハッキリとした記憶を持ってさえいるかもしれません――しかし「眠り」という単語はリストにはありませんでした。みなさんがでっち上げたものだったのです。

Section 3

記憶は、実際に起きたことと、起きたことをどのように理解したのかの両方に依存しています。読んでいただいた単語のリストは、まさにこうしたタイプの間違った記憶を引き起こすように設計されていました。単語のすべては、抜け落ちていた「眠り」という単語と密接に関連しているものです。リストに載っている単語を読んだときに、単語から意味を理解して、自動的に単語の間のつながりを作ったのです。ある段階では、単語は眠りにすべて関連があるとわかったのです。しかし、「眠り」という単語は、リストにはないという事実に特に注意することはなかったのです。それから、単語を思い出すときには、目にした単語の具体的な記憶と、単語が全体としてどのような関係があったのかに関する知識の両方に基づきながら、頭は全力を尽くしてリストを再構築したのです。

Section 4

何かを知覚するときには、すべてを完璧な細部まで(記憶するための電気)信号に変えるというよりは、見たり、聞いたり、においをかいだりするものから意味を引き出すのです。生物がこうした戦略から手に入れるもの(→自分にとって利益になるもの)がほとんどないとき、進化がどんな刺激でもすべて取り入れる脳を設計したということは、珍しいことでしょう(→ほとんどありえないことと言えるでしょう)。記憶は知覚するすべてのものを保存するのではなく、代わりに見たり、聞いたりしたことがあるものを取り込み、すでに知っているものと関連付けるのです。このような関連付けのおかげで、大切なものを見分けて、見たことがあるものについての細部を思い出せるのです。関連付けは、記憶をさらに滑らかにしてくれる「検索の手がかり」を与えてくれます。たいていの場合には、こうした検索の手がかりは役に立ちます。しかし、この関連付けは、間違った方向に私たちを導くこともあります(→こうした関連付けのせいで、間違った方向に進んでしまうこともあります)。まさに、関連付けは、記憶の正確さという誇張された感覚に導くからです(→関連付けのせいで、記憶は絶対に正しいんだと信じ込むことにつながるからです)。例えば、1つずつ単語を独立して思い出すものと、関連付けと知識に基づいて構築しているものを簡単に区別することはできません。

私たちは覚えたいと思うものを記憶することが、よくあります。私たちは場面を理解し、そうした理解が(今度は逆に)私たちがその場面に関して覚えているものを特徴づけ、あるいは決定したりするのです。記憶の中に保存されているものは、現実の正確な複製ではなく、現実の作り直しなのです。DVDのように記憶を再生することはできません。記憶を思い出すたびに、実際に覚えているどのような細部であってもその細部と、覚えておくべきものに対する期待とを一つにまとめているのです。