わやくの部屋

CROWN 3 -Lesson 7

Being Bilingual
2言語を操ること

「バイリンガリズム=2言語併用能力」とは、2つの言葉を同じように上手に話す能力のことです。人がバイリンガルであるのは自然なことです。人類の約4分の3が、2つ以上の言葉を話しながら大人になります。世界で一番自然なことです。人々は家庭では1つの言葉を使っています。市場に行けば、それとは違う言葉を話します。学校や教会に行けば、そこでももう1つ違う言葉を使います。多くの文化が出会う世界中のいろんな場所では、通りは様々な言葉で混乱状態です。そこにいる人たちはみんな、全部の言葉を少し知っています。パプアニューギニアには850以上の言葉があります。

公用語が2つ以上ある国もあります。カナダではフランス語と英語の2つが公用語です。スイスではドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つが公用語です。日本ではいくつの言語が一般的に話されているのでしょうか? 英語が日本の公用語になるべきだと提案する人もいます。どう考えますか?

Section 1

1つの国には国民の大半が話す言葉が1つあるのが普通です。しかし、(同時に、)国民の多くが他の言葉を学んできてもいることでしょう。そして、他に移民の人たちもいることでしょう。移民の人たちは、自分たちの育った国の言葉を話すものです。(この意味で)すべての国は多言語なのです。中にはビックリするくらいの多言語国家もあります。例えば、米国の至る所で何百という言葉が話されています。

イギリスは世界の(→世界に冠たる)1言語使用の地域だと見なされがちです。しかし、イギリスでさえ、最近はとても多言語なのです。(そもそも)歴史の初期からイギリスは多言語でした。5世紀にアングロサクソンがイギリスにやって来たときに、住民たちがラテン語と様々な(地元)イギリスの言葉を話しているのに気づきました。ラテン語はローマ人がイギリスにいたときからです。イギリスとヨーロッパの他の地域との貿易の結果として、おそらくは、他の大陸系の言葉もまたイギリスで話されていたのでしょう。

今日では、多くの移民たちが原因で、イギリスの多言語使用量は急上昇してきています。インナーロンドンにある小学校の半分で、生徒の半数以上が英語を母語として話していません。しかも、高校でも数字はそれほど低くなりません――40%です。1999年、ロンドンの学校に通う85万人の子供たちの母語を調べてみると、300言語以上が使われていることがわかりました。一番一般的なのは、もちろん英語です。次にいくつかのアジアの言語、地中海周辺の言語、アフリカの言語が続きました。

状況はニューヨーク市でもよく似ています。カリブ地域出身の数多くのスペイン語を話す人たちと、さらに最近ではアジアの人たちが原因で、コミュニケーションの問題が、特に学校で起きてきています。5歳以上のニューヨークに住んでいるすべての人の中で、家庭で英語だけを話している人は、わずか72%しかいません。結果として、学校は英語を第2言語として教えなければいけません。

Section 2

なぜ移民は自分たちの言葉を持ち続けるのでしょうか? (国を越えて)世界の新しい場所にやって来ているというのに、なぜ古い言葉を単純に捨て、新しい言葉を学ばないのでしょうか? もちろん、まさしくそうしている人(=古い言葉を捨て、新しい言葉を学んでいる人)はたくさんいるのですが、多くの移民は第1言語を生かしておき続けるためには努力を惜しみません。話せるときはいつでも話し、言葉が使われる地域共同体を形成し、子供たちに教えるのです。そして、受け入れ国は多言語使用を推し進めるためのあらゆる努力を(しばしば=結構よく)払い、財政が許す限りできるだけたくさんの言葉でサービスを提供します。

日本の多くの市は韓国語、中国語、ポルトガル語、それに英語を含む多言語で公共サービスを提供しています。また、警察も法廷制度も多言語で通訳者を提供します。日本中至る所の電車や地下鉄の駅にあるたくさんの標示は韓国語と中国語と英語で書かれています。テレビでは、ニュースはかなりの数の外国語で毎日、放送されています。

もし他の国に行って暮らすなら、母語を完全に捨てたいと思いますか? 明らかに母語を捨てたいとは思わないでしょう。出身国には話したり手紙を出したりしたい友達や親戚が、まだいるのです。そして、たとえ友達や親戚がいなくても、(自分の生まれ育った)文化に関する知識と記憶のすべてを頭の中に持っています。母語は自己同一性――自分が誰なのかに関する感覚――の一部を形成しているのです。そして、母語は一番よく知っている人、一緒に育った人たちの集団の自己同一性の一部になっています。

だからこそ、自分たちの言葉が侮辱されたり、無視されたり、最悪の場合には禁止されたりすると、人々は怒るのです。政府が、地方の言葉の公共使用を禁止しているのを見つけることは、まったく普通ではないのではありません(→政府が地方の言葉を(国民が)公の場で使うのを禁止するのは、よくあることです)。フランコ将軍がスペインの支配者だったとき、スペイン語が公共での使用を許された唯一の言葉でした。カタロニア語や、バスク語や、ガリシア語のようなスペインの地方の言葉は、抑圧されました。我が子に地方の(言語で)名前をつけることすらできませんでした。状況は今では違っています。

Section 3

自らの言葉を支持するためにデモ行進をしている、ある国の人たちのことを(→デモ行進をしている人たちがいる国のことを)新聞で、時折、読みます。暴動やハンガーストライキすらあるかもしれません。フランス語を話す人たちが自分たちの言葉をより多くの公共の面前に与えられて欲しいと思っている(→フランス語がもっと多くの人の目に触れるようになってほしいと思っている)ケベック州で、こうしたことが起きたことがあります。フランス語を話す人たちとフレミシュ語を話す人たちがたびたび紛争状態になるベルギーでも、こうしたことが起きたことがあります。ウェールズでも、インドでも、他の数か国でも起きたことがあります。なぜこうしたことが起きるのでしょうか? その言葉を話す人たちが、自分たちの言葉の大切さについてとても強く感じているから、暴動やハンガーストライキで命を危険にさらすほどまで、言葉を守るためにはどんなことでもやる準備ができているからです。

一番有名なこうした重要な事件のうちの1つが、1952年2月21日、当時、東パキスタンだった国のダッカで起きました。(東パキスタンは今のバングラデシュという国です) 学生の集団が、ウルドゥー語と共に東パキスタンの公用語としてベンガル語を使うことを支持するデモを組織しました。警察が発砲し、数人が死亡しました。あの頃のことは忘れられてはいません。国連教育科学文化機関(UNESCO)は、世界のすべての母語を祝うために、2月21日が国際母語デーを表わすことを(→2月21日を国際母語デーとすることを)1999年11月に決めました。

記念日は、物事の大切さを私たちに思い出させてくれます。ですから、誕生日やお祭りがあるのです。言葉の記念日は多くはありませんから、言葉の記念日が執り行われるわれるときに、言葉の記念日(=言葉の重要性のこと?)を思い出すのはいいことです。(言葉に関しては)毎年、2つの大切な(記念)日があるだけです。2月21日の国際母語デーに加えて、今では、9月26日にはヨーロッパ言語の日があります。この2つの記念日は同じ目標を共有しています。人々に言葉の多様性の大切さを知ってもらうことと、言語学習と2言語使用を推し進めることです。

Section 4

2言語使用は米国、イギリス、西ヨーロッパのような場所では大きな問題です。というのは、こうした国々は何世紀にもわたって、国民のほとんどが1つの言葉だけを話し、他の言葉を劣っていると見なした場所だからです。スペイン語はスペインの言葉だったのですし、フランス語はフランスの言葉だったのですし、英語はイギリスの言葉だったのです。他のどのような言葉であっても、重要ではないと考えられたり、あるいは、フランコ将軍のスペインの場合のように、抑圧すらされていました。他の国々も同じようなことをしました。100年以上も前に、ウェールズの学校でウェールズ語を話しているのを聞かれた場合には、罰を受けたのです。もし北西フランスのブルターニュの学校でブルトン語を話しているところを見つけらた場合にも、同じことが起こりました。今日では、もう一度自分たちの言葉に対する尊敬を(得ることを)望みながら、こうした共同体は反撃しています。2言語使用は政治課題になってきています。

世界のいくつかの場所では、優勢な言葉は国家が巨大な帝国を築いた結果です。1つの国が他の国を支配すると、敗戦国は侵略者の言葉を採用し、公用語にするという結果になるのが普通です。ですから、中南米の国々のほとんどがスペイン語やポルトガル語を使うのですし、フランス語と英語が数多くのアフリカの国々で使われているのですし、英語が北米、南アジア、オーストラリア、ニュージーランドで使われているのです。特に新しい言葉が古い言葉の存在を脅かすときに、2言語使用はそういった地域でも政治問題になり得るのです。

2言語使用、(あるいは)さらに言えば多言語使用は、私たちの暮らすこのグローバル化した世界では生活の事実なのです。母語が自己同一性を確立し維持する際に大切な役割を演じるという事実を考慮すると、言語の多様性を奨励することはとても大切です。2言語使用を取り囲む政治問題によって引き起こされるかもしれない紛争の可能性があるにもかかわらず、寛容と対話を通じて困難に打ち勝つ必要があります。遺産を守り、発展させていくためには母語が不可欠なのですから、何と言っても、抑圧されないで自由に母語を話せることは、私たちにとってとても価値のあることなのです。