王子猷、戴安道を訪ぬる語

現代語訳

むかし、王子猷は山陰というところに住んでいた。生活のための日々の仕事に縛られることなく、ただ花鳥風月に心を寄せて多くの年月を暮らしていた。何かのことを思い立ったらすぐ動かないといらいらするたちで、情趣を大事にする人なので、ある大雪が降った日に,雪が止んで、素晴らしく美しい月光が煌々と照らす夜、一人でこの光景を起きて見ているうちに、その趣を一人で味わうだけでは我慢できなくなったのであろうか、心の欲求のまま高瀬舟に乗って友人の戴安道を訪れていった。家までの道は遠いので、夜も明け月も傾いてしまったのを、残念に思ったのであろう、このような理由でやって来たとも言わずに、そのまま門のところから引き歸していった。なぜ、そんなことをしたのかと聞く人があったので、「一緒に月を見ようとやってきたのだけれど、友人に逢う必要があるだろうか(いや月も風景も変わってしまい、趣がなくなっていた)」風流を大事にする心の深さは、このことでよくわかることであろう。戴安道は剡縣という所に住んでいた。王子猷の年来の友である。同じように風流を理解する人であったそうだ。