神無月のころ
現代語訳
10月ごろに、栗栖野という所を過ぎて、とある山里を訪ねて行ったことがあったのですが、遠くまで続いている苔の細道を踏み分けて、もの寂しい様子で人が住んでいる家があります。木の葉で埋もれた、かけいから水が漏れる音以外には、音を立てるものがありません。閼伽棚に菊の花や紅葉が折って供えられているのは、人がやはり住んでいるからなのでしょう。
このように住むことができるのだなぁとしみじみと見ていると、むこうの庭に、大きなみかんの木があって、果実の重みで枝がしなっていたのですが、木の周りを頑丈に囲っていたので、そのことで気持ちがさめてしまって、この木がなければよかったのにと思いました。