わやくの部屋

PROMINENCE 2 -Lesson 9

A Country of Poles and Signs

Section 1

日本の都市景観の未来について話し合うシンポジウム「日本の美しい景観」の最初のセッションにようこそ。本日は、ゲストとしてロバート・デネットさんをお迎えしています。デネットさんは有名な写真家であり、日本文化の研究者です。そして彼は日本の現代の景観にあまり満足していません。私たちの議論をあなたからのコメントで始めたいのですが、デネットさん。

はい。ご紹介ありがとうございます、本田さん。最初に、私は電柱の問題を指摘したいと思います。ご存知のように、電柱と電線は日本中どこでも見られます。それらはありふれた光景です。しかし、他の何よりも、これらの電柱と電線が日本の都市景観を台無しにしていると私は信じています。世界中のほとんどの大都市では、電線は今では地下に埋められています。これが今日の標準です。そして、それは欧米の国々だけではありません。北京、上海、香港、シンガポール、クアラルンプール。これらの都市はすべて電線を埋めるようにしてきました。

以前は、私は電柱と電線が見えても全く気になりませんでした。しかし、あなたがこのことを指摘して以来、それらが実際にどれくらい私たちの視界を妨げるかをもっと意識するようになりました。そして、本当にそれは気を散らすものだと言わざるを得ません。しかし一方では、単に電線を取り除くことが都市を美しくするという考えには、私は完全には同意できません。場所によっては、電柱と電線が実際に景観にある魅力を付け加えているところもあると思います。

Section 2

何年もの間、電柱と電線は都市景観の自然な一部でした。もしそれらを取り除いたら、新しい姿は妙に異質なものに感じることがありうるだろうと私は思います。親近感が失われかねないのです。それは人々が長年にわたって築いてきたある視覚的なイメージを壊すことを意味するでしょう。

あなたの言いたいことはわかります。実際、日本にあるすべての電柱を一度に取り除くのは不可能でしょう。少しずつ、しかし着実ですばやいやり方で、私たちは地域住民の理解を得ることに取り組み、電柱を取り除くプロセスを始めるべきです。そうは言っても、私自身は電柱に全く愛着は感じません。

電柱を取り除くことの1つの大きな利点は、地震のような自然災害が起こった場合に様々なリスクを減らすことができることです。阪神・淡路大震災では,作業員が倒れた電柱を取り除くのに長い時間がかかったので、多くの場所で救助活動が遅れたと言われています。

批判的な人の中には、地震が多いので日本では地下の電線は適さないと言う人たちがいます。しかし、阪神・淡路大震災後に行われた調査によると、震度7で揺れた地域では、電線の10.3パーセントが停電になったのに対して、地下の電線はわずか4.7パーセントでした。

Section 3

では、標識と広告看板の議論に移りましょう

デネットさん、あなたは標識、広告の掲示、それに自動販売機の使用さえ規制することを提案しています。これらは私たちが日本中で見るものです。それらは都市に活発で、現代的な感じを加えると言えます。例えば、香港では看板は至る所に立てられます。それらはまとまってはいませんが、印象的な景色を作り出しています。

p>

香港では、看板は実は慎重に考慮して立てられているのです。おわかりでしょうが、それらは重なり合っていません。日本では、そうではありません。看板は行き当たりばったりに至る所に掲示されています。しかし、そもそもどうしてそんなに多くの看板があるのでしょうか。本当にそんなに多く必要でしょうか。日本では、もし十分な標識がなかったら、人は困ってしまうと間違って信じられているのだと私は思います。それらは公共の場所でよく聞かれる音の大きなアナウンスに似ています。我々には絶えず指示が必要で、さもなければどうしたらいいのかわからないと、音の大きなアナウンスをする人たちは思っています。彼らは私たちを子供扱いしているのです。

Section 4

郊外の道路は標識と広告看板がずらりと並んでいることがよくあります。これらも景観に影響します。

全くその通りです。多くの場所で、ファミリーレストラン、ラーメン店、ガソリンスタンド、コンビニエンスストアなどを宣伝する巨大な看板やカラフルなのぼりを見ます。宣伝の掲示には際限がありません。これらは主にチェーン店なので、日本中の郊外の街で同じ看板が見られます。これは景観をつまらなくて退屈にすると私は思います。

私がこのことを郊外に住む友達に言うと、ある反発を引き起こすことが時々あります。それは彼らが育った環境なのです。それで、彼らは傷ついたり、気分を害したりするのだと私は思います。彼らの観点からすれば、あなたがあなたの個人的な好みや価値観を彼らに強要しているように感じられるのかもしれません。

それは違います。私が言っているのは、それぞれの地域で伝えられてきている独自の生き方を私たちは大切にするべきだということです。第二次世界大戦の終わり以来、日本は物質的な発展に取りつかれてきました。しかし、私たちはこれを変える必要があります。私たちは本当に住みやすい環境、人々の間の豊かな交流を促進する場所を作り出すことを目指すべきです。これをするためには、私たちは一方では景観が破壊されてしまった場所を作り直しながら、美しい景観を持った場所を保存しなければなりません。これはとても重要なポイントです。