わやくの部屋

PROMINENCE 2 -Lesson 10

How to Use 'If'
Ifの使い方

Section 1

私は日本にいるとき、時々ひそかに考えます。

「もし私の足元の地面が揺れ始めたら、どうなるだろうか。もしたった今地震が襲ったら、どうなるだろうか。大きい地震が来たら、私は生き残れるだろうか。」

それは想像して最高に楽しいことではありませんが、その「もし」はこの列島に深く根づいています。

日本での生活には、好むと好まざるとにかかわらず、地震と津波が入っているからです。

他のときは、私は「もし」という言葉を嫌なことの代わりに何か素晴らしいことを考えるために使います。

「もし人間が武器を作るのをやめて戦争を終わらせたら、どうなるだろう。もし私たちがみんな正気に戻り、海や川や湖を汚染するのをやめたらどうなるだろう。もし私がシェークスピアに会うために過去にさかのぼれたら、どうなるだろう。もし私の次の本がものすごく人気が出て、何百万部も売れたら、どうなるだろう」

「もし」はあなたを明るい空想へ打ち上げたり、または暗い不安のどん底へ落としたりすることができる効果的なメカニズムです。

あなたの「もし」の使い方で、あなたが楽観主義者であるか悲観主義者であるかが決まり、あなたの思考が進む方向が決まるのです。

Section 2

ある日、私は地下鉄で東京駅まで行き、広島行きの新幹線に乗り、1号車に空席を見つけました。

発車してまもなく、ドアの上の電光掲示板が日本語と英語の両方でメッセージを表示し始め、私がすでに知っていることを私に伝えました。

例えば、どの車両が指定席で、どの車両が自由席だとか、グリーン車の乗客だけが座れるのはどこだとか。

それから突然、赤い文字で、警報メッセージがスクリーンに現れました。

「注意:もし不審物や持ち主不明の荷物を見つけたら、すぐに乗務員にお知らせください」

何と不愛想なトリックでしょう!

そのメッセージは緊急の命令で始まり、私に「注意」を払うように言います。

次に、私は「すぐに」「乗務員」の誰かを見つけるように言われます。

しかし、なぜでしょうか?!

そして、悠長なコンマ、緊急のときにはじれったく:の後に、イライラさせる「もし」が来て、その後にばかげた概念「持ち主不明の荷物」が続きます。

それはどういう意味でしょうか。

私が座っているところからは、私に見える荷物は、誰もそれを見ていないので、すべて「持ち主不明」のように見えます。

私の周りの人たちはみんな他人です。

だから、もし私が彼らを疑えば、この車両のすべてのバッグとスーツケースが「不審」に見え始めます。

乗務員は私が、彼らのメッセージのおかげで私が今感じている不安な気持ちを彼らに「知らせる」のを本当に望んでいるのでしょうか。

結局、私はおとなしくしていましたが、広島までずっと、「もし」がどのようにすれば人々に相互不信感を抱かせることが可能なことについて考え続けました。

Section 3

ある夜、私は有楽町駅の近くの線路下にある居酒屋に立ち寄って、豆腐と漬物を注文しました。

ウエイターが私に一膳の箸を手渡してくれたとき、私は「箸の使い方」と箸袋に書かれているのに気がつきました。

ところで、私は何年も箸を使って食べているので、説明なしでもどうにかやっていけます。

しかし、時々アメリカから来る友達が私に箸の使い方を聞きます。

私の教え方はかなりでたらめなので、私は「もし箸袋の上のアドバイスが良ければ、今度聞かれたときに使えるかもしれない」と思いました。

それから、私は書かれていることを読んで、大笑いしました。

「箸の使い方隣の人に聞きなさい。もし彼が困っているなら、彼の隣の人に聞きなさい。もし…」

これは特に役に立つアドバイスではありません。

しかし、ジョークとしては、ばかばかしさにあふれています。

この居酒屋が全員が箸を使ったことがない客でいっぱいのところを想像してください。

誰もこの東洋の道具の使い方を知らなかったら、どうなるでしょうか。

それはおかしな状況ですが、「もし」はほんの短い数文を連ねることで私たちをそんな状況へと連れていってくれます。

Section 4

私が子供の頃、聞いて、覚えて、繰り返したマザーグースの童謡があります。

それは「もし」という言葉の当てにならない性質について警告しています。

「もし、『もし』 と『そうすると』が鍋とフライパンだったら、いかけや鋳造された鍋、釜などの鋳物製品の修理・修繕を行う職業)の手に仕事はなくなるだろう」

もしそれらが本物の鍋とフライパンになったら、どうなるかちょっと想像してください。

台所用品の市場は供給過剰になり、鋳掛屋はみんな職を失ってしまうだろう!

私たちは「もし」と「そうすると」を起こるかもしれないことを言い表すときに使います。

私たちがしようと計画していること、したいと願っていること、そして、私たちの願望は「もし」で始まることが多いです。

「もし私がテストに合格したら…」「もし私がよい仕事についたら…」

それから時間は経ち、たいてい、物事は私たちが計画したような結果にはなりません。

多くの希望と願望が実現しないで消えます。

たぶんすべての「もし」の中で最も当てにならないのは、ラブソングに繰り返し現れるものです。

「もしあなたが私のものなら」は時代を越えて、数え切れないバリエーションで、まだ現実になっていない関係を想像するために恋する者たちが使ってきたフレーズです。

実際に結ばれて「もし」が現実になるカップルもありますが、利用できる統計データはありませんが、その見込みは宝くじよりもわずかにあるくらいだろうと私は推測します。

シェークスピアは彼の演劇『ロミオとジュリエット』の中で愛について、そして愛が成就する厳しい見込みについて書きました。

もしあなたがその物語を読んだり、舞台で演じられるのを見たりすることがあったら、その二人の恋人どうしが交わすまさに最初の言葉が「もし」であることに気づくでしょう。