大晦日は合はぬ算用

現代語訳

榧の実・かち栗・神の松・シダの葉を売る人の声がせかせかと忙しく、餅をついている家の隣に、年末の大掃除もせず、十二月二十八日まで髭も剃らず、朱塗りの鞘の反りを返して、「春まで支払いを待てというのにどうして待てないのだ」と、金を集めに来た米屋の若い衆をにらみつけて、まっすぐな政治が行われている今の世を、無理を通して自分の思うままに生きている男がある。

名は原田内助といい、よく名の知れた浪人で、広い江戸の市中でも内助の無法さが知れ渡っていたので住みにくくなって、この四、五年前から品川の藤茶屋近くに家を借りていたが、次の日の炊事に使う薪にもことをかき、夜は明かりをともす油もないぐらいの貧乏暮らしであった。このような貧しさで迎えた年の暮れに、女房の兄が半井清庵といって、神田明神の横町に医者がいた。

そこ半井清庵へ手紙を金品をねだる手紙を出したところ、しょっちゅうある事で迷惑だったが見捨てるわけにはいかないので、金子十両を包んで、その上書きに「貧病の妙薬、金用丸、よろづによし」と書いて内助の妻の方に贈られた。

内助は喜び、普段から特に親しくしている浪人仲間へ、「酒を一献差し上げたい」と呼びに行かせ、幸いその夜は雪のため景色は趣があり、これまでは崩れたままになっていた紫の戸をあけて、「さあ、どうぞお入りください」と言う。

合計七人の客はみんな紙で出来た安い着物を着ていて、季節はずれの夏用羽織を着てはいるものの、どことなく昔の(浪人になる前の)面影が残っている。ひととおりの挨拶がすんでから、亭主が退出して、「私は幸運な援助を受けて、思うままの正月をします。」と言うと、各々、「それはあやかりたいほどの果報者だ」と言う。

「それについて、金包みの上書きにひと趣向が見られます」と、例の小判(送られてきた十両)を出すと、「なんとまあ上手な洒落だ」と、見て回すうちに、杯の数も重なってゆき、「気持ちのよい忘年会で、ことのほか長居をしてしまった」と、「千秋楽は民をなで・・・」と謡をうたいだし、酒をお燗するための鍋や塩辛の入った壺を手渡しして片づけてしまわせ、「小判をまずはおしまいください」と集めたところ、十両あったうちの一両足らない。座にいた人々は座り直し、袖を振って、前後を見て調べてみたけれども、いよいよ出てこなかった。

主人が言うには、「そのうち一両は、ある方に支払ったので、私の覚えちがいでした」と言う。「ただ今まで、確かに十両あったのに、不思議なことだ。とにかくみんなの身の潔白を示そう」と、上座の人から着物の帯を解くと、その次の男も衣類をあらためた。ところが三番目に座っていた男は、渋い顔をして、物をまったく言わなかったが、座りなおしをして、「この世の中にはこういうつらいこともあるものだなあ。私は、衣服を振るまでもない。金子一両を持ち合わせているのが、不運なことだ。思いもよらぬことで一命を捨てることになった」と、思い切って言ったら、一座の人々が口を揃えて、「あなただけでなく、卑しい身分だとはいえ、小判一両を持たないものではない。」と言う。

「いかにもこの金子の出所は、私が長年持っていた後藤徳乗作の小刀を、唐物屋十左衛門方に、一両二分で、昨日売ったことには、違いはないが、時節が悪い。常々語り合っていた仲として、私が自害した後でお調べくださって、死後の汚名を、どうか返上してもらいたい。」と、言うと堪えきれずに、刀の革柄に手をかけようとした時、「小判はここにある。」と、丸行燈の陰から小判を一両投げ出したものがいて、「さては、小判が見つかったのか。」と、一座の騒ぎが静まり、「物には、念を入れて調べるのがよい」と言う時、家の奥のほうから、妻が声を出して、「小判はこちらに来ていました」と、重箱の蓋につけたまま、座敷へ出された。

「これは、宵のうちに、山芋の煮物を入れて出したが、その湯気でくっついたのか、そういうこともあろう。これでは小判は十一両になってしまう。」みんなが言うには、「この金子、ひたすら数が多くなることは、すばらしいことだ。」と言う。

亭主が言うには、「九両の小判、十両のはずという議論をしているうちに十一両になったということは、この座中にどなたか金子を持ち合わせた方がおられ、先ほどの難儀を助けようとして、ご自分の小判をお出しになったに違いない。この一両は私の方に、納めるべきものではない。持ち主の方に返却したい。」と、客に聞いたが、誰一人名のって出る者もなく、一座は変な空気になってしまって、夜更けに鳴く一番鶏が鳴き出す時になっても、各々座を立って帰ろうとしても帰れないので、「このうえは、亭主が考えている通りにさせてくださらないでしょうか」と願ったところ、「ともかく、ご主人のお心にまかせる。」と客たちは言ったので、亭主はその小判を一升ますに入れて、庭の手洗い水を入れる鉢の上に置いて、「どなたでも、この金子の持ち主は、お取りになって、お帰りください」と、お客を一人ずつ立たせて、その都度戸をいちいち閉めて、七人を七度に帰して、その後内助は手燭をともして枡の中を見ると、誰とも知れず、持ち帰っていた。

亭主の即座の判断、座のなれた客のふるまい、何やかやと武士の交際というものは格別に立派なものである。